ノビチョク
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アメリカの地政学顧問であるステファニー・フィッツパトリックは、ノビチョクはソ連のウズベキスタンヌクスにある化学研究所で生産されていると主張しており[21]ニューヨーク・タイムズは米国当局者の話として、この施設はノビチョクの主要な研究と実験場であると報じた[22][23]。小型の試作品はウスチュルト台地の近隣で実験が行われているかもしれない[23]。フィッツパトリックはまた、薬剤がモスクワ近郊のクラスノアルメイスク研究センターで実験が行われているかもしれないと書いている[21]。前駆物質は、ソ連のカザフスタンパヴロダルの化学工場―ノビチョク兵器の生産拠点を目指したものとも考えられていた―で、化学兵器禁止条約署名に向けて1987年に生産工場が解体されるまで生産されていた[24][25]

ウズベキスタンは1991年の独立以来、アメリカ合衆国連邦政府と協力して、ノビチョクやその他の化学兵器が実験・開発された場所を解体し、除染した[21][23]。1999年[26]から2002年にかけて、アメリカ合衆国国防総省はヌクスの化学研究機関でノビチョクの主要研究・試験現場を600万ドルの脅威削減協力プログラムの下で解体した[22][27]

英国の化学兵器専門家であり、英国の化学・生物・放射性物質・核統合連隊元司令官でNATOでも同等の立場にあった、ハミッシュ・デ・ブレットンゴードンは、ノビチョクがウズベキスタンのような旧ソ連の他の場所でも見つかったという見解を否定し、ノビチョクはロシアのサラトフ州シハヌィでのみ製造されたと主張している[28]。ミルザヤノフはまた、ノビチョクはシハヌィで科学者ピョートル・ペトロヴィチ・キルピチェフによって初めて製造されたと述べている。キルピチェフは1975年、ウラジーミル ・ウグレフによって計画に加わった[29]。ミルザヤノフによると、生産はシハヌィで行われていたが、1986年から1989年の間にヌクスで実験された[4]
特徴ノビチョク剤とされる構造の例[30][31][32][33]

これら薬剤の最初の記述はミルザヤノフによってもたらされた[17]。ガスや蒸気の代わりに超微細粒子として拡散する独特な性質を持つ。そのとき、化学兵器禁止条約の下で規制されていない物質の性質を模倣した物質、あるいは条約制度の検査では検出できない物質を用いて製造されるバイナリー兵器が生み出された[23]。このファミリーの最も強力な化合物でもあるノビチョク5とノビチョク7はおそらくVXガスと比べておよそ5倍から8倍強力である[34]。「ノビチョク」は、2つの薬剤に分かれている形態を指し、それら薬剤を混ぜた生成物はそのコード番号(例えばA-232)によって表される。最初のノビチョクシリーズは、既知のVシリーズ神経剤VRの二種類の前駆物質であったが[35]、後のノビチョクはA-232の化合物の二種類の前駆体である[36]。ミルザヤノフが彼の自叙伝で示した構造は西側の専門家が特定した構造と幾分異なっている。彼は多数の化合物が製造されたことを明らかにしており[37]、効果が弱い多くの誘導体は新しい有機リン系殺虫剤として公開されているので、秘密の化学兵器計画は正当な農薬研究に偽装された可能性がある。

A-234剤はVXより約5倍?8倍強力であると推定される[38][39]

これら薬剤は、砲弾爆弾ミサイル噴霧装置を含む様々な装置を介し、液体エアロゾルまたはガスとして散布することができるとされる[21]

化学的には、幅広い可能性のある構造が報告されている。これらは全て、古典的な有機リン基(P=OはP=SやP=Seに置き換えられることもある)を特徴とし、通常フッ素化されたホスホロアミド酸またはホスホン酸が最も一般的である(モノフルオロリン酸参照)。有機基はより多様である。しかし、一般的な置換基はホスゲンオキシムまたはその類似体である。これは強力な化学兵器であり、具体的には掻痒剤であり、ノビチョク剤による被害を増やすことが予想されている。これらグループと主張される多くの構造は、ノビチョク剤の特徴であるとされている酵素の急速な変性をおそらく説明する、酵素アセチルコリンエステラーゼ活性部位共有結合し得る架橋剤モチーフをいくつか持っている。
効果

神経剤としてノビチョクは、有機リン酸アセチルコリンエステラーゼ阻害剤のクラスに属する。これら化合物は酵素アセチルコリンエステラーゼを阻害し、神経伝達物質アセチルコリンの正常な分解を妨げる。アセチルコリン濃度は、神経筋接合部で増加し、全ての筋肉の不随意収縮を引き起こす。これは呼吸と心拍停止(犠牲者の心臓横隔膜はもはや正常に機能しない)に繋がり、最終的には心不全または肺水腫による窒息により、死亡する[40]

アトロピンなどの速効型末梢性抗コリン作用薬の使用は、他のアセチルコリンエステラーゼ阻害剤による中毒治療のようにアセチルコリンによる中毒を阻害するために働く受容体をブロックする可能性がある。しかし、神経剤中毒の有効投与量は、患者の心拍数変化と気管支分泌物の肥厚など重篤な副作用が起きる用量に近いため、アトロピンを安全に投与することが困難である。これら分泌物の吸入及び高度な生命維持技術が神経作用物質中毒を治療するためのアトロピン投与とともに必要である[40]

神経剤中毒の治療において、アトロピンは、有機リン系神経剤のリン酸化によって不活性化されたアセチルコリンエステラーゼを再活性化させる、プラリドキシム(PAM)、オビドキシム、トリメドキシム(TMB-4)、塩化アソキシム(HI-6)のようなハゲドーンオキシムと共に投与される。PAMは、ソマンのような古い神経剤[40]やVXの8倍の毒性があると文献にあるノビチョク神経剤によって阻害されたアセチルコリンエステラーゼの再活性化には効果的ではない[33]

ロシアの科学者によると、この薬剤は不可逆な神経損傷を引き起こし、犠牲者に永久的な障害をもたらす可能性がある[41]。これら人間に対する効果は1987年5月、モスクワの研究所で開発に携わっていた科学者の一人であるアンドレイ・ジェレジニャコフが残留していたノビチョクに偶然暴露したことで証明された。ジェレジニャコフは意識回復まで10日かかって歩行能力を失い、3ヶ月後レニングラード(現サンクトペテルブルク)の秘密の診療所で治療を受けた。腕に慢性的な衰弱、肝硬変を引き起こす毒性肝炎、癲癇、重度のうつ症状または読書や集中力の欠如が起きて、重度の身体障害により働くことができなくなった。ジェレジニャコフは回復することなく、5年後の1992年7月に死亡した[42]
使用例

ノビチョクは、ロシアのビシネスラウンドテーブル(米国で有名なロビー)の責任者、イヴァン・キヴェリディと彼の秘書、ザラ・イスマコヴァを毒殺するため1995年に使われたと伝えられる[43][44][45]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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