アロノフスキーが初めてノアの物語に興味を抱いたのは第7学年の時であった。彼は自由作文の課題の際に「The Dove」と題したノアに関する詩を提出した[11]。映画『π』を終えた数年後、アロノフスキーは次の映画のアイデアを探し、ノアに関するものが良いと考えた[11]。脚本作業は2000年に始まったが、アロノフスキーはホールマークが似たような映画に取り組んでいると知り、プロジェクトを保留した。しばらくしたあとに草案の執筆が再開され、2003年に第一稿が完成した[11]。
2007年4月にアロノフスキーは『ガーディアン』誌上で『ノア』について初めて語り、アロノフスキーはノアを洪水の後に「本物のサバイバーズ・ギルト」を経験した「暗い、複雑なキャラクター」と見たと説明した。アロノフスキーはブラッド・ピットが降板して『ファウンテン 永遠につづく愛』の製作が失敗に終わった頃に『ノア』の脚本に取り組んでいた[12]。
過去に『ファウンテン』、『レスラー』、『ブラック・スワン』でアロノフスキーと協働したアリ・ハンデル
(英語版)が脚本を手伝った。彼らは『ノア』の製作費を調達する前に脚本をグラフィックノベル化させるためにカナダの芸術家のニコ・ヘンリション(英語版)とコラボレーションした。グラフィックノベルの第1巻は2011年10月にベルギーの出版社のル・ロンバード(英語版)より『Noe: Pour la cruaute des hommes』の題でフランス語で発売された[13]。グラフィックノベルの執筆後、アロノフスキーは1億3000万ドルの予算で『ノア』を製作する契約をパラマウントとニュー・リージェンシーと交わした[2][14]。脚本家のジョン・ローガンは書き直しのために雇われたと報じられたが、クレジットはされなかった[15]。アロノフスキーは当初、クリスチャン・ベールとマイケル・ファスベンダーへノア役のオファーをしたが、両者は他の契約があるために実現しなかった。ベールはリドリー・スコット監督の宗教叙事詩映画『Exodus: Gods and Kings
』のモーセ役を選んだ[16]。