ネパール
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合計(2019年)3兆4,643億1,900万[2]ネパール・ルピー

GDP(MER
合計(2019年)306億9,000万[2]ドル(107位
1人あたり1,079ドル

GDP(PPP
合計(2019年)1019億[2]ドル(99位
1人あたり3,581[2]ドル

建国
ゴルカ朝全土統一1768年9月25日[3]
冊封国となる1792年9月30日1
王政の廃止2008年5月28日
新憲法が公布2015年9月20日

通貨ネパール・ルピーNPR
時間帯UTC+5:45 (DST:なし)
ISO 3166-1NP / NPL
ccTLD.np
国際電話番号977
1 清との冊封関係は、清が1912年に崩壊するまで続いた。

ネパール(ネパール語: ?????)は、南アジアに位置する連邦共和制国家。首都であり最大の都市はカトマンズ

東、西、南の三方をインドに、北方を中華人民共和国チベット自治区に接する西北から東南方向に細長い内陸国である。国土は世界最高地点エベレスト(サガルマータ)を含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成る。ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしている。面積は約147,000 km2。多民族多言語国家であり、民族カーストが複雑に関係し合っている。また、宗教仏教の開祖釈迦(仏陀)の生誕地であり、ヒンドゥー教(元国教)、仏教アニミズムなどとその習合が混在する。

農業を主たる産業とし、ヒマラヤ観光などの観光業も盛んである。後発開発途上国であると分類されている。世界で唯一四角形でない国旗を持つ国である。

2008年王制廃止、2015年9月公布の憲法(英語版)により、7州による連邦制国家となった[4][5]
国名

正式名称はネパール語デバナガリ(デーヴァナーガリー)文字で?????、ラテン文字転写表記は nep?l。公式の英語表記は Nepal。日本語表記は、ネパール[6]漢字表記は、尼婆羅。
国名の変遷

国際連合におけるネパールの正式国名の変遷は以下の通り[7]

- 2006年8月22日:ネパール王国(Kingdom of Nepal)

2006年8月22日 - 2008年8月4日:ネパール(Nepal)

2008年8月4日 - 2020年12月14日:ネパール連邦民主共和国(Federal Democratic Republic of Nepal)

2020年12月14日 - 現在:ネパール(Nepal)

2020年の正式国名変更

2020年9月27日、K.P.シャルマ・オリ内閣は正式国名を「ネパール連邦民主共和国」から政体名を含まない「ネパール」とすることを閣議決定[8]。後日各政府機関へ通達した。これに対して議会委員会は、2015年憲法8章83条に「ネパール連邦民主共和国」と記載されているとして異議を唱えた[9]。また最高裁判所は今回の決定について書面での回答を求めた[10]。変更を支持する憲法専門家の主張では、違憲性はないと判断している[11]

オリ政権は2020年11月16日付けで国名変更を国際連合へ通達し、2020年12月14日に承認された[7]。これに続き、2021年1月に中央情報局(CIA)のオンライン版ザ・ワールド・ファクトブック[12]国際標準化機構(ISO)[13]は正式国名を「ネパール」へ変更した。
国旗詳細は「ネパールの国旗」を参照

国旗は1962年12月16日に採択されたものであるが、2008年から連邦民主共和制に基づく新政府へ移行した現在もこの図案を採用している。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

歴史詳細は「ネパールの歴史(ネパール語版、英語版)」を参照
リッチャヴィ朝以前

ネパールの中心、
カトマンズ盆地には旧石器時代から人が住んでいたことが明らかになっている。ドゥマカールの遺跡で発見された木具を放射性同位元素で測定した結果、紀元前2万7400年ごろのものと推定された。また、タライなど旧インド文化圏の各地でも旧石器時代の遺物が発見されている[14]

伝説では、カトマンズ盆地は太古の昔湖だった。スワヤンブー寺院を参詣しに来たマンジュシュリ(文殊菩薩)が湖を囲む山を剣で切り開き、湖水を流しだし人が住めるようにしたという[15]

また、「ネ(ne)」という名の牟尼(聖者)が、最初にこの地を「統治(pal)」 したので、「ネパール(Nepal)」の名が付けられたという伝説もある[16]。その他、ネパールの起源に関する伝説は数多く存在する。

ネパールの古い歴史については「バンシャバリ」といわれる王朝王統譜が5種類伝えられ、「ゴーパーラ王朝」「マヒシャパーラー王朝」「キラータ王朝(英語版)」があったとされるが、信憑性は低い[17]
仏陀生誕の地と言われるルンビニ

紀元前6世紀 - 現在ネパール領のカピラヴァストゥの統治者の子として釈迦(仏陀)がルンビニで生誕し、北インドに教えを広めた。これらの地域は当時はインド文化圏に含まれていた。

紀元前3世紀 - インドのアショーカ王が釈迦の生誕地である南ネパールに巡礼を行い、仏塔を建立した。


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