ネッシー
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1934年4月にはいわゆる「外科医の写真」(後述)が『デイリー・メール』紙に掲載され、大きな反響があった[7]1990年代になって、前述のマッケイ夫人による、グレイ写真以前の撮影とされる写真が公表されている)。

その後も現在に至るまで多くの目撃例があり、写真や映像も撮影されてきた。1951年のラクラン・スチュアートによる写真は、ネッシーの背中の三つのコブと思しき物体が捉えられており有名である。1955年、P・A・マクナブ撮影の写真は、湖岸のアーカート城跡が写り込んでおり、それとの比較でネッシーの大きさが、湖面に出ているだけでも10 - 15メートル以上と推測できる貴重な写真とされる。

映像では1960年、著書『ネス湖の怪獣』(大陸書房)で知られるネッシー研究家ティム・ディンスデールにより撮影された、対岸に向かって泳ぐネッシーを捉えたとされるフィルムが有名。また、1975年ボストンの応用科学アカデミー研究チームにより撮影された、ネッシーのほぼ全身と、頭部のアップを写したとされる水中写真は世界的なニュースとなった。

目撃例や写真は、水面に頭部や背中のように見える突起物が移動するところや、湖畔を巨大な姿で移動するもの、更には陸上に上がったところなど、さまざまである。このため、普段は水中に住むが、時々水面に頭などを出すのではないかとの説もある。サッチャー政権下のイギリスでは、ネッシーの保護が検討されていたともいわれる。

2005年3月頃、ネス湖の湖畔で、シカの死体とともに長さ10センチメートルほどの牙状のものが見つかっており、一部ではこれをネッシーのとして、なおも存在を信じる人々がいる。
「外科医の写真」とその真相

ロンドン外科医(実際は産婦人科医)、ロバート・ケネス・ウィルソンは、その主張によると、1934年4月の早朝、友人と共にの写真を撮りにネス湖を訪れ、突然湖面に現れたネッシーを、持っていたカメラで撮影した。この写真は『デイリー・メール』紙に掲載され、「外科医の写真」と称されて話題を呼んだ。岸が写っておらず、ネス湖を撮影したという確証はなかったが、首長竜を思わせる長い首が写されており、長らくネッシーの代表的写真として知られてきた。しかし1993年11月、クリスチャン・スパーリングが死の間際に、この写真がトリックであったと告白した。告白によると、首謀者は彼の養父マーマデューク・ウェザレルであり、彼らは、自ら発見したネッシーの足跡を偽物と判定された意趣返しに、おもちゃの潜水艦に30センチメートルほどのネッシーの首の模型を付けた物を撮影したという。そして、知人であるウィルソンの医師という社会的地位に目をつけ、偽証を依頼したとのことである。エイプリルフールジョークのつもりだったが、世界的な話題になったことで引くに引けなくなったとのことである[8]。この告白は翌1994年3月、イギリスの『サンデー・テレグラフ(英語版)』紙に掲載された。

なお、スパーリングの告白以前からこの写真はネッシー肯定派からも証拠としての価値へ疑問が提示されていた。「外科医の写真」は、既に1960年代より、写真に写る波の大きさや形状から、被写体が大型生物ではなく、数十センチメートル程度の物体であることが指摘されており、水鳥カワウソの尾の誤認説が唱えられてきた。また1980年代には、研究者により、対岸が写った元の写真が発見された。これにより被写体が実際に小さかったことが証明されたのみならず、公表者が被写体の小ささを隠すために、意図的にトリミングした写真を公開した疑いも指摘された。
研究・議論

20世紀後半には、それまで水中に生息していたとされていた竜脚類の大型恐竜は実際には陸生であったらしいことが明らかにされ、ネッシーがアパトサウルスディプロドクスなどの生き残りである可能性は薄らいだ。また、有力な証拠とされてきた写真が捏造であることが当の報告者から告白されたり、大規模な確認調査が失敗に終わるなどしている。

イギリスの鳥類学者ピーター・スコット(英語版)は、1975年の水中写真撮影を受けて、ネッシーに対してNessiteras rhombopteryxという学名を与えている[9]

2004年、イギリスのパートン海岸に謎の生物の死骸が漂着し、その姿がネス湖のネッシーを彷彿させるため話題を呼んだ。漂着した死体は生物としては比較的小柄で、俗にミニ・ネッシー、ベビー・ネッシー、ミニ・ネス湖の怪物 (the Mini Loch Ness monster) と呼ばれて注目を集めた。

2006年に、1930年代初期頃にネス湖近辺の地域で頻繁にサーカスが行われていたこと、その動物たちは休息を理由に立ち寄ることが多かったことを根拠に、ネス湖周辺の人々が「サーカス団のゾウを謎の巨大生物と見間違えたのではないか」という説が、イギリスの古生物学者クラークによって唱えられた[10]

他に、北海からネス川をさかのぼったチョウザメ[11]ウナギ[12]、湖面の波や流木などの説もある。チョウザメは、大型のものでは体長3メートルにもなり、ネス川河口で目撃された例がある。湖面の波については、地元の船乗りにはネス湖は強い南西風によって潮目のような線状の長い波が立つことが知られている。こうした波、あるいはボートの航跡が、時にネッシーの航跡、あるいはネッシーのこぶとして目撃されたと思われる。実際、ネス湖をよく知るネス湖の船乗りからはネッシーの目撃例はほとんどなく、目撃例の多くは旅行者や、ボートに乗らない湖岸の住人からである。また、周囲の川から流れ込む流木はラングミュア循環(英語版)現象で湖の中心部に集まるが、夏から秋にかけては、南西風によって静震現象が発生し、流木を風上方向に流す。風下から風上に流れる流木が波に逆らって高速で移動する生物のように見える。
否定的見解

これまでの科学調査の結果に、大型爬虫類(あるいは動物)の存在を肯定するものは全くない。このため、逆に否定する見解が圧倒的に多い。以下に主なものを挙げる。

ネス湖の地域は約11,000年前(最終氷期)まで氷河に覆われており、ネス湖ができたのはその氷河が溶けてからである。そのため、約6550万年前に絶滅したとされる首長竜等の大型爬虫類がネス湖で生き残っているということは考えられない。

現生の爬虫類はウミガメやウミヘビ、ワニなど、いかに水中生活に適応したものであっても、産卵、孵化は必ず陸上で行わなければならない。ネス湖の周辺にそのような大型の爬虫類が産卵できるような陸地は存在しない。

近年になって、首長竜は化石の体内から胎児の骨が発見され、胎生であったことが裏付けられている[13]。また魚竜に関してはより早くから胎生であったことが知られている。だが胎生であっても、これらの爬虫類は前述の通り6550万年前に絶滅している。これらの目撃例や発見例は一度も確認されていない。


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