1905年にアングロスイス・コンデンスミルク・カンパニー(Anglo-Swiss Condensed Milk Company)と合併した。この対等合併は、クレディ・スイスとスイス・フランス銀行(現・HSBCホールディングス)の仲介で実現した[4]。クレディ・スイスのCEOは、アングロスイスの重役を兼ねていた。対等合併のため、実質的には1920年代まで組織の融合には至らなかった。
第一次世界大戦の影響で乳製品に関する公共事業の受注も始まり、大戦後には製品の生産高がそれまでの2倍以上にまで拡大した。一方で終戦後に公共事業の発注が減り、消費者の嗜好が再び生乳へ戻った[3]。
経営の合理化や負債の縮小を進めたのち、1920年代にはチョコレートを新製品として広く展開。ネスレの第2の重要な商品となるまでに成長した[3]。 第二次世界大戦下においては収益が2000万ドル(1938年)から600万ドル(1939年)に減じ、ラテンアメリカを中心とする開発途上国に新工場が造られた。皮肉にも戦争の影響でネスカフェが米軍の主要な飲料となった。1947年、調味料やスープを扱うマギーと合併した。1950年、食品業のクロス・アンド・ブラックウェルとも合併した。[3] 1963年、冷凍食品のフィンダス(Findus
戦う食品会社
ネスレ社の最終損益は伸び、1984年には新たな買収攻勢が始まり、1985年にはエバミルクを扱うアメリカの大企業カーネーション(Carnation、フリスキーブランドでペットフード事業へ参入)を[3]、1988年にはイギリスの製菓会社Rowntree Companyを初めての敵対的買収で取得した。また、イタリアの食品会社であるペルジーナを買収し傘下とした。
ペリエ買収以降ルーラ大統領も出席したブラジル工場の落成式(2007年)
1990年代前半はネスレ社には好都合なことが続いた。すなわち貿易障壁が撤廃され、世界市場における商圏が統合されたのである。おかげでネスレは1992年ペリエを買収し[5]、国際的な金融関係を安定させることができた。
1996年以降も企業買収は進んだ。その中にはサンペレグリノ社(ミネラルウォーター事業、1997年)、Spillers Petfoods社(1998年)、ピュリナ社(ペットケア・ペットフード事業、2002年)などが含まれる。