ネストリウス派
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中国へは、太宗の時代にペルシア人司祭「阿羅本」(アラボン、オロボン、アロペン等複数の説がある)らによって伝えられ、景教と呼ばれた。景教とは中国語で光の信仰という意味であり、景教教会を唐の時代、大秦寺という名称で建造された。詳細は「大秦寺」を参照

しかし唐代末期、王朝を伝統的中華王朝に位置づける意識が強まって以降、弾圧され消滅した(参考:会昌の廃仏)。

モンゴル帝国を後に構成することになるいくつかの北方遊牧民にも布教され、チンギス・ハーン家の一部家系や、これらと姻戚関係にありモンゴル帝国の政治的中枢を構成する一族にもこれを熱心に信仰する遊牧集団が多かった。そのため、の時代に一時中国本土でも復活することになった。ただし、モンゴル帝国の中枢を構成する諸遊牧集団は、モンゴル帝国崩壊後は西方ではイスラム教トルコ系の言語を受容してテュルクトルコ人)を自称するようになり、東方では、それぞれチベット仏教を信仰してモンゴル語系統の言語を維持するモンゴルを自称し続ける勢力とオイラトを称する勢力の二大勢力に分かれていき、ネストリウス派キリスト教を信仰する遊牧集団はその間に埋没、消滅していった。

大秦景教流行中国碑

李之藻の『景教碑鈔本』

7?8世紀頃の中国でのネストリウス派の祭礼(聖枝祭を描いたもの)、出自高昌景教寺院壁画(中国語版)。

日本への伝播に関する諸説栖雲寺所蔵の十字架捧持マニ

日本に多大な影響を与えた唐で隆盛していたため、景教が何らかの形で日本にまで伝播し、影響を与えていたはずだと主張する言説は複数存在する(同じく同時代の三夷教〈景教、?教摩尼教〉の1つである?教〈ゾロアスター教〉に関しても、同じような主張がある)。

明治末に来日したアジア研究家の英国人であるE・A・ゴードン夫人は、真言宗と景教の関連性を確信し、高野山に中国・西安(長安)にあった景教の記念碑「大秦景教流行中国碑」のレプリカを建立した。この記念碑は、今も高野山に現存している(夫人の墓もその隣りにある)。空海は中国で景教についても学んだとされる[10]

山梨県甲州市大和町木賊の栖雲寺(せいうんじ)所蔵の「十字架捧持マニ像」(元代)は寺伝では虚空蔵菩薩像とされているが、十字架が描かれており、景教との関連が指摘されており[11][12]、アメリカのメトロポリタン美術館でも展示された[13]。しかし研究の進展により、本画像と他のマニ教絵画と図像が一致することが確認され、栖雲寺本はマニ像の可能性が高い[14]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ネストリウス(Nestorius)はラテン語式表記で、ネストリオス(Νεστ?ριο?)はギリシア語式。

出典^ 日本人として学んでおきたい世界の宗教呉善花、PHP研究所, Jul 4, 2013
^ Hogan, Dissent from the Creed. pages 123?125.
^ 浜田華練「文庫版解説」389頁, 森安達也『東方キリスト教の世界』ちくま学芸文庫, 2022.
^ 高橋英海「アッシリア東方教会」, 三代川寛子『東方キリスト教諸教会 研究案内と基礎データ』明石書店, 2017, 323-4頁。
^ 高橋英海「アッシリア東方教会」324頁。
^ 「イスラーム国家における異教徒統治制度史の研究」研究成果の概要国立情報学研究所、平成22年3月7日
^ 中世思想原典集成(後期ギリシア教父・ビザンティン思想)、上智大学中世思想研究所?編訳・監修、平凡社、1994.8
^ プロテスタント教理史、渡辺 信夫、キリスト新聞社、2006.6
^古代キリスト論の歩み ハンス・ユルゲン・マルクス。
^ ザビエル宣教と霊魂不滅の問題根占献一、学習院女子短期大学紀要第34号 1996.12.25
^ 泉武夫 「景教聖像の可能性 --栖雲寺蔵伝虚空蔵画像について--」『國華』 第1330号第112編第1冊、2006年8月、所収。
^ 東京新聞 2010年9月27日 「マニ教『宇宙図』国内に 京大教授ら世界初確認」
^[1]
^ 吉田豊 「寧波のマニ教画華 いわゆる「六道図」の解釈をめぐって」、Zsuzsanna Gulasci/田中健一・柳承珍訳 「大和文華館マニ教絵画にみられる中央アジア来源の要素について」(共に『大和文華』第119号、2009年2月、所収)。

関連文献

新疆北部の宗教状況:ネストリウス派キリスト教の流行丸山鋼二「モンゴル帝国期東トルキスタンの宗教」文教大学国際学部紀要 第19巻1号2008年7月

日本人とネストリアン井上章一、創立10周年記念国際シンポジウム「日本における宗教と文学」国際日本文化研究センター, 1999.11.30.

関連項目

アッシリア東方教会

トマス派

アッシリア人

李密翳

安如宝

アバカ

ソルコクタニ・ベキ

オン・カン

ラッバーン・バール・サウマ

外部リンク

大秦景教流行中國碑に就いて(桑原隲藏)

Keikyo.com

大秦景教流行中国碑

景教碑の謎 - ウェイバックマシン(2008年6月11日アーカイブ分)

『ネストリウス派』 - コトバンク

『景教』 - コトバンク

典拠管理データベース: 国立図書館

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日本

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2



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