ネグロイド
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手首、足首は細い[4]

腸腰筋が発達しており、骨盤が前傾している。腸腰筋はももを引き上げる役割がある。

骨密度が高く、骨粗鬆症になりにくい[5]

西アフリカのネグロイドは瞬発力に優れると言われており[6]、実際もオリンピックなどの世界的な大会において西アフリカにルーツを持つ選手が短距離走などで上位を独占している。東アフリカのネグロイドは持久力に優れると言われており[6]、マラソンなどではケニアやエチオピアにルーツを持つ選手が世界的な大会で上位を独占している。(マラソンの世界ランキング上位100選手を輩出する率は、平均を1とした場合、ケニア全体で6.03、内陸部のナンディ人は22.9と言う驚くべき数字が確認されている)。これらは異なる国や環境のもとで育ったアフリカ系移民の間でも同様に高い確率で優れた選手が輩出されている。このことから遺伝的に、精神的かつ肉体的な優位性が元々備わっているという可能性も示唆されていたが、オリンピックのメダル数に関する統計が一般化したことから現在[いつ?]では黒人の身体能力は極めて限定的な領域でしか発揮されていないことがデータによって明らかにされている。
遺伝子アフリカ大陸のY染色体ハプログループ

ネグロイドは出アフリカをせず、アフリカにとどまったグループである。人種を特徴づけるY染色体ハプログループとしてABEが挙げられる[7]。ネグロイドを除いた現生人類の核遺伝子には絶滅したネアンデルタール人類特有の遺伝子が1 - 4 %混入しているとの研究結果もあるため、ホモ・サピエンスの原型により近いとも言える。
古代ローマにおけるネグロイド観

2世紀のローマ帝国の有名な学者ガレノスは、厚い唇、広い鼻孔、縮れた頭髪、黒い目、しわのある手と足、薄い眉毛、とがった歯、長い陰茎、際立った陽気さを、黒人男性の10の特徴として列挙している。そして、この際立った陽気さが「欠陥のある頭脳とそれに由来する知性の弱さゆえに、黒人男性を支配している」と彼は述べている[8]。1世紀のプリニウスは、エティオピアの地誌を記載している『博物誌』6巻195節において「西の方にニグロイ族がおり、その王はただひとつの眼が額にある。主にヒョウやライオンの肉を主食としている「野獣食人」、何でもかんでも貪食する「貪食族」、その食事が人肉である「食人族」」がいる、と後述のイブン・ハルドゥーンの記載と類似する内容を記載している。
中世イスラム世界におけるネグロイド観

預言者ムハンマドは最期の説教で「アラブ人は非アラブ人に優越せず、非アラブ人はアラブ人に優越しない。白人は黒人に優越せず、黒人は白人に優越しない。人はただ正しさによってのみ優越する」と言っている[9]。この戒めは多くのイスラム教徒に順守され、結果として黒人の信徒も増えていったものの、ジャーヒリーヤ時代から続く黒人への偏見は根強く残り、イスラム史初期の黒人詩人の詩からも差別の存在がうかがえる。

『もし私の肌がピンクならば、女性たちは私を愛すだろう。しかし、神は私を黒さと結婚させた』と書いたスハイムは660年に亡くなったアフリカ出身の奴隷であった。『私は奴隷であるが、私の魂は気高く自由である。私は肌の色は黒いが、私の性格は白いのである。』彼は詩の中で彼の本質的な尊厳を表現している。

ヌサイブ・ブン・ラバーブは726年に亡くなったが、アラブ人の詩人からの肌の色を理由とする自分への非難に対し、彼自身、痛烈な応答をしている。『私がこのものを言う舌とこの勇敢な心を持っている限り、黒さが私の名誉を貶めることはない。ある者は血統により引き立てられるが、私の詩の詩句が私の血統なのだ!ものを言わない白人より、感受性の鋭い心とはっきりとものを言う黒人のほうがどんなにすばらしいことか!』イスラーム文化は女性美を例外として、本質的に肉体的な資質よりも知的な資質を重んじた。独特の肉体的強さを知的に劣ることと結びつけることで、黒人への侮蔑が正統化され、助長された[8]

中世イスラーム世界での黒人奴隷による反乱に、9世紀にアッバース朝時代のメソポタミア南部で発生したザンジュの乱が知られる[10]

11世紀の歴史家バクリーは「スーダン人たちは人間よりも動物に近く、彼らはもっぱら物欲に興味を持ち、しばしば食人を行い、ほとんど羞恥心を持たない」と記している[11]

11世紀のイスラーム時代の重要都市トレドの裁判官であるサイード・アルアンダルスィーは、「彼らの気質は血の気が多くなり、気性は激しく、彼らの色は黒く、彼らの頭髪は縮れている」「彼らは自制心と心の安定に欠け、移り気と愚かさと無知が勝っている。エチオピアの果てに住んでいる黒人、ヌビア人、ザンジなどがそれにあたる」と記している[8]

12世紀の地理学者イドリースィーは「スーダン人たちは最も堕落した人々であるが、子供を生む能力は最もすぐれている人々である。彼らの生活はまるで動物のようで、彼らは物と女の欲求以外になんの関心もしめさない」と記している[11]

14世紀の旅行家イブン・バットゥータは「彼らの教養の無さや白人に対する無礼な態度をみて、つくづくこんなところまで来てしまったことを後悔した」と記している[11]。一方で、イブン・バットゥータはマリ王国での記録において、「彼らの美徳とすべき行為として、(まず第一に、)不正行為が少ない点にある。つまりスーダン人(黒人)のスルタンは、誰一人として、不正行為を犯す事を許さない。次には、彼らの地方で安全の保障が行き届いている点であり、従って、その地方を旅する者は何の心配事も無く、(長く)滞在する者でも強盗や追い剥ぎに遭うことが無い。……彼らの美徳の他の一つとして、彼らが(イスラームの)礼拝を厳守し、それを社会集団の中で彼らの義務行為としていること……金曜日には、一般の人々は早朝にモスクに行かないと、あまりの混雑のため、どこで礼拝しているのかわからなくなってしまうほどである。と述べている[12]

中世イスラムの最も偉大な歴史家イブン・ハルドゥーンは「黒人の大半は洞穴や密林に住み、草を食い、野蛮のままで社会的集団生活をせず、たがいに殺して食べる。黒人は一般に軽率で興奮しやすく、非常に情緒的な性格で、メロディを聞けばいつでも踊りたがり、また、黒人はどこにおいても愚か者とされている」と記している[11]
オーストラロイドなどとの違い

南インドドラヴィダ人オーストラリアアボリジニメラネシアンなどオセアニアの先住民たちは、その肌の色の濃さ、メラネシア人などに関しては巻き毛の頭髪の形状からも黒人と思われる場合もあるが、彼らはオーストラロイドである。またポリネシアンミクロネシアンはモンゴロイドとオーストラロイドの混合人種である。同様にインド亜大陸で人口の70%を占めるアーリア人も同じく肌の色から黒人だと思われる場合があるが、彼らの場合はコーカソイドとオーストラロイドの混合人種である。いずれもアフリカ人とは遺伝的に異なる集団である。
イエズス会士による蔑称戦国時代、日本に到来したイエズス会員などの南蛮人たち。白人の他、黒人も描かれている。

「黒人」は人種のひとつであるが、人種差別的な見方からすれば蔑称として使用されることがあった。たとえば、イエズス会宣教師フランシスコ・カブラルは、日本人韓国人を黒人とみなし、「黒人」を蔑称として使用している。カブラルは、日本人を黒人で低級な国民と呼び、その他、侮蔑的な表現を用いた。かれはしばしば日本人にむかい、「とどのつまり、おまえたちは日本人(ジャポンイス)だ」というのがつねで、日本人に対して、日本人が誤った低級な人間であることを理解させようとした。また、イエスズ会は韓国人に対しても黒人で低級な民族であり、周辺民族で最も野蛮な人種としていた。[13]

また、同じくイエズス会巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノもその著書『東インド巡察記』において、インド人を黒人とみなし、「黒人」を蔑称として使用している[14]。(インド人は)あまりに惨めであまりに卑劣なため、かれらが黒色人種とされても仕方がないのである。 ? 『東インド巡察記』第2章黒色人種はみなほとんど知力がなく性癖も悪い。 ? 『東インド巡察記』第26章

ヴァリニャーノのこうした人種差別意識の根拠となったのが、アリストテレス「政治学」第1巻の先天的奴隷説であるとされる[15]

なお、日本人を黒人とみなしたカブラルと異なり、ヴァリニャーノは日本人を白人とみなした[16]


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