ネグリロ
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しかし12万5000年─16万5000年前にコイ=サン語族とピグミーが他の人類集団から分岐した[6]にもかかわらず、前者のみ独自言語を持つという仮説は不自然である。なおピグミー全体に共通する語彙についての研究はないが、隣接したピグミーと農耕民の語彙の比較研究から、固有名詞や儀礼の言葉、動植物名にピグミーオリジナルの語彙の存在は確かめられており、かつては存在していたオリジナルな言語が、農耕民との接触によって文法や語彙の多くが消失したと一般には考えられている[7]。かつて存在したオリジナル・ピグミー語は遺伝子からハザ語に近縁であるとの説もある[8]
人種的特徴

ピグミーを総称した人種概念をネグリロ (Negrillo) と呼び、次のような特徴的な形質を有するとされる。

平均身長が150cmに満たない。他の黒人ほど肌の色は濃色ではない場合がある。体は筋肉質で胴は長くて太く、腕は長く足は短い。頭部が大きい。髪質は細くちぢれていて体毛は毛深い。また、ブッシュマンやホッテントットといったカポイドにも見られる「脂臀」といわれる特殊な形質が女性にあらわれる事がある。

ネグロイドの下位区分とされるが、その特徴的な形質からさらに独立した人種とされたり、カポイドの集団と近縁ともされることもあるが、カポイドは突顎が弱く長頭が多いなどいろいろ異なる点が多い。

かつては東南アジアの小さな体をもつ狩猟採集民(フィリピンのアグタ族 (Agta) とバタク族 (Batak)、マレー半島のセマン人 (Semang)、アンダマン諸島の先住民など)と含め「ネグリト」と呼ばれ、フランスの人類学者カトルファジュは、両者を南インドを起源とする一つの人種であると捉えたが、東南アジアのネグリトは皮膚の色がより濃く、体毛が薄く、突顎が著しくないという形質的な違いがあり、少なくとも1960年代後半にはすでに別系統説が強くなっていた[9]。現在は遺伝学的に近縁でない事がわかっており、東南アジアのネグリトはモンゴロイドに属するとされる。
遺伝学より

言語学は文化的なオリジンを探求する方法であるが、生物学的な側面については遺伝学を利用することで理解することができる。

ピグミーにはY染色体ハプログループB系統が高頻度で見られる[10][11]。このグループは大地溝帯から森林地帯へ西進した系統である。

ミトコンドリアDNAの分析によって、例えば西のピグミー(アカやバカなど)と東のピグミー(トゥワやムブティなど)の間の遺伝的な類似性よりも、それぞれの近隣農耕民との方が遺伝的に近いという結果が得られている。しかしこれによって、ピグミーの同一起源が否定されたわけではない。実際にはピグミーの女性は近隣の農耕民に娶られるという一方的な通婚があり、ピグミーの女性の遺伝子が農耕民に供給されてきたからである[注 1]。mtDNAの集団内多様性や核DNAの研究から、実際にはピグミーと他の人々は6-7万年前に分岐し[13]、2万年前に東と西にピグミーが分岐した[14]という結果が得られ、ピグミーは同一起源であるというのが有力である。しかしながらピグミーの特徴である低身長については、ピグミーが西と東に分かれて以降、それぞれの集団が独自に環境に適応した結果であるという説もある[15]
社会・文化アフリカピグミーとヨーロッパの探検家

最も人類学的研究の進んだピグミーはコンゴ民主共和国のイトゥリの森に住むムブティ族である。コリン・ターンブル (Colin Turnbull) は著書『森の民?コンゴ・ピグミーとの三年間? (The Forest People) 』 (1962) の中で彼らを主題とした研究成果を示している。

ピグミーは他の民族と異なり、10代はじめに身長の成長が鈍化する傾向にあるために成人の身長が低くなる。これらは環境への適応のためであり、人間以外の種でも小さな身体というのは、小島や密林といった隔絶された環境に応じ、それぞれ独立して進化した結果であることが知られている。ピグミーの祖先が生きた環境はかれらの身体サイズを多世代にわたり小さくし、そして今日、自然淘汰によりその遺伝子が支配的になっている。コンゴ共和国にあるピグミーの家は木ぎれと葉っぱで建てられているコンゴ共和国のピグミー家屋の内部

アフリカのピグミーは集団、即興による複雑なポリフォニーが特徴的な声楽によってよく知られている。Simha Aromはピグミー音楽の多音の複雑さは、中世ヨーロッパのアルス・ノーヴァのポリフォニーとよく似ていると指摘している。ピグミー音楽に用いられるほとんどの楽器は単純かつ実用的なもので伝統的なノマディック(放浪的)ライフスタイルに似つかわしい。ピグミー社会は平等主義で有名である(おそらく空想的に描かれたもの)。彼らはよく理想郷と未開社会の両者を包含するものとして空想的に描かれ、彼らが長期にわたり、ピグミー以外の「より近代的な」集団(近隣の村落、農場経営者、材木会社、宣教師、狩り場に侵入するハンター)と関係を持ち続けてきたことを見落としがちである。アフリカのピグミーは独自の言語は持っていないが、周辺のピグミー以外の言語(バンツー語など)を話す。

コンゴ共和国サンガ川沿いのウェッソ (Ouesso) とポコラ (pl:Pokola) のちょうど中央付近にあるピグミーの家は、棒きれと葉っぱで建てられており、とても狭く、木製のベッドと棚のような基本的な家具だけがある。熱帯雨林では夜間の冷え込みが厳しいため、内部には囲炉裏が設けられており、トウモロコシやその他の果物を蒸留して酒を造るために使われている。彼らはまた非常に有能な猟師でもある。

政府との関係は没交渉ということもなく、1977年(当時はザイール)に発生した第一次シャバ紛争では、政府軍に協力する形で弓矢で武装した部隊が参加している[16]
ピグミーの一般的用法

「ピグミー」は、一般的には矮小な人種や動物に適用される(たとえばピグミーマーモセットなど)用語である。古代ギリシャの肘尺pygm?が語源となっている。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 通婚の形態については『森棲みの社会誌─アフリカ熱帯林の人・自然・歴史II』を参考にしている[12][要ページ番号]。

出典^ 竹内潔「 ⇒アフリカ熱帯森林の狩猟採集民」 Last updated: August 25, 2005.
^ Serge Bahuchet (1993). “L'invention des Pygmees.”. Cahiers d'etudes africaines 33 (1): 153-181. 
^ Wahle, E (1999). “Introduction.In Biesbrouck”. In K.,S.Elders & G. Rossel. Central African Hunter-Gatherers in a Multidisciplinary Perspective: Challenging Elusiveness. 
^ 市川光雄『森の狩猟民─ムブティ・ピグミーの生活』人文書院、1982年。 
^ 寺嶋秀明『共生の森』東京大学出版会〈熱帯雨林の世界6〉、1997年。 
^ Chen YS, Olckers A, Schurr TG, Kogelnik AM, Huoponen K, Wallace DC.. “mtDNA variation in the South African Kung and Khwe-and their genetic relationships to other African populations.”. The American Journal of Human Genetics. 66 (4): 1362-1283. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}PMID 10739760. 
^ 寺嶋秀明 著「森が生んだ言葉─イトゥリのピグミーにおける動植物の名前と属性についての比較研究─」、木村大治、北西功一 編『森棲みの生態誌─アフリカ熱帯林の人・自然・歴史T』京都大学学術出版会、2010年。 
^ 松本克己(2010)『世界言語の人称代名詞とその系譜 - 人類言語史5万年の足跡』三省堂
^ 香原志勢「人類の進化と人種」、『原色現代科学大事典 6-人間』、代表・小川鼎三、学研、1968年、P101。
^ Wood, Elizabeth T et al 2005 Contrasting patterns of Y chromosome and mtDNA variation in Africa: evidence for sex-biased demographic processes; also Appendix A
^ Berniell-Lee, Gemma et al 2009 Genetic and Demographic Implications of the Bantu Expansion: Insights from Human Paternal Lineages
^ 北西功一 著「アフリカ熱帯林の社会(2)」、木村大治、北西功一 編『森棲みの社会誌─アフリカ熱帯林の人・自然・歴史II』京都大学学術出版会、2010年。


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