新プラトン主義とヘルメスの教義を、ローマカトリック教会に導入しようとしたフィチオーノとピノの試みは、ヘルメス改革の観点から評価されている[6]。ルネサンス期においても、プラトンの思想と新プラトン主義は区別されていなかった。
15世紀のフィレンツェでメディチ家を中心にプラトン研究が盛んになり、プラトンやプロティノスの著書がラテン語に翻訳された。ビザンツ出身の学者ゲミストス・プレトン、プロティノスの『エンネアデス』をラテン語訳したプラトン主義者マルシリオ・フィチーノが知られる。フィチーノは美に対するプラトン的な愛(プラトニック・ラブ)によって人間は神の領域に近づくことができると考えた。
新プラトン主義の思想はルネサンスの文芸・美術にも大きな影響を与えた。
18-19世紀英国のトマス・テイラー
(英語版)も広義の新プラトン主義者とされる[1]:8。