ネイチャーが刊行された1869年以前から、当時すでにこうした類の定期刊行物はいくつも存在していた。例えばネイチャーに先行していたものとしてはRecreative Science: A Record and Remembrancer of Intellectual Observationが挙げられる[12]。これは1859創刊で、当初は自然史を扱うもので、後に物理分野での観察的な科学や技術的な主題を扱うようになり、自然史はあまり扱わなくなった[13]。タイトルも何度か変更された[14]。具体的には、'Intellectual Observer:A Review of Natural History、Microscopic Research、and Recreative Science' [15]、'Student and Intellectual Observer of Science、Literature、and Art'、などに変更された[16]。この雑誌は、天文学や考古学などのより多くの物理科学を含めることを試みたが、Intellectual Observerはさらに拡大して文学や芸術も内容に含めるようになった[16]。他にも、1862年創刊のPopular Science Reviewは、Scientific SummaryやQuarterly Retrospectというタイトルのサブセクションを作成してさまざまな科学分野をカバーし、最新の科学作品に関する書評と解説を掲載した[17]。他にイギリスで創刊されたジャーナルには、1864年創刊のQuarterly Journal of Scienceや、1868年創刊Scientific Opinionがある[16]。ネイチャーに内容的に密接に関連するジャーナルとしては、1863年創刊のThe Readerが挙げられる。この雑誌はPopular Science Reviewと同様に、科学コミュニティの外部の聴衆に購読してもらうことを目的として、科学以外にも文学や芸術分野も範囲に含まれていた[16]。
しかしながら、このような似たりよったりの定期刊行物は、結局ほとんどうまく成功しなかった。最も長く続いたPopular Science Reviewですら20年しか続かず1881年に廃刊。Recreative Scienceも、Student and Intellectual Observerも1871年に廃刊。The Quarterly Journalは編集者の交替の後1885年に廃刊。The Readerは1867年廃刊。Scientific Opinionは2年しか続かず、1870年6月に廃刊した[18]。
創刊最初のタイトルページ、1869年11月4日
このような時代背景の中、The Reader誌の失敗からしばらくして、その元編集者だった天文学者ノーマン・ロッキャー によって、ネイチャーが1869年11月4日創刊された[19]。ここで掲げられていたエピグラフは、ロマン派の詩人ウィリアム・ワーズワースのソネット集第36番「A VOLANT TRIBE OF BARDS ON EARTH ARE FOUND」(1823年)からの引用である[20]。
To the solid ground of Nature trusts the mind that builds for aye. (自然の堅固な地盤に、永久に築き上げる心を託す。)[21]
ネイチャーは、当初はマクミラン社によって所有・出版されており、先行していた定期刊行物同様に、「教養ある読者に科学的知識の進歩についての、アクセス可能なフォーラムを提供する」ことを試みたという[19]。Janet Browneによると、ネイチャーは「同時代の科学誌群とは比べ物にならないほどポレミック (polemic) な目的の(つまり、討論を挑んだり、議論を引き起こすことが目的の)雑誌として生まれ、育てあげられた[22]。
ネイチャーの初期の版の多くは、Xクラブ(X Club)と呼ばれるグループのメンバーによって書かれた記事で構成されていた。これは、その時代に比べてリベラルで進歩的で、やや物議を醸す科学的信念を持っていることで知られる科学者のグループであった[19]。トマス・ヘンリー・ハクスリーによって始められたこのグループは、ジョセフ・ダルトン・フッカー、ハーバート・スペンサー、ジョン・ティンダルなどの重要な科学者と、さらに5人の科学者と数学者で構成されていた。これらの科学者は皆、ダーウィンの進化論や共通祖先の存在を強く支持していた。この理論は、19世紀の後半においては、より保守的な科学者グループの間で多くの批判を受けていた[23]。1966年から1973年までと1980年から1995年までのネイチャーの編集者であるジョン・マドックス(英語版)は、ジャーナルの100周年記念版の祝賀ディナーで、おそらく読者を惹きつけたのはネイチャーのジャーナリズムの特質であると述べた。ここで言う「ジャーナリズム」とは、「互いに孤立している人々の間に、共同体としての感覚を作り出す方法です。これは、Lockyerのジャーナルが最初から行ったことです。」と述べている[24]。さらにマドックスは、マクミラン家による最初の数年間のジャーナルの財政的支援により、ジャーナルがそれ以前の科学ジャーナルよりも自由に繁栄し発展することを可能にしたと述べている[24]。 ネイチャーの創刊者であるノーマン・ロッキャーは、インペリアル・カレッジ・ロンドンの教授であった。1919年に、リチャード・グレゴリー卿 1970年、ネイチャーは最初にワシントン事務所を開設した。その他の支店は、1985年にニューヨーク、1987年に東京とミュンヘン、1989年にパリ、2001年にサンフランシスコ、2004年にボストン、2005年に香港に開設された。1971年、ジョン・マドックス
編集長
拡張と開発
2008年10月30日、ネイチャーは2008年アメリカ大統領選挙での選挙運動中にバラク・オバマを支持し、初めてアメリカの大統領候補を支援した[31][32]。2012年10月、アラビア語版の雑誌が、アブドゥルアズィーズ王科学技術都市(英語版)と提携して発行され、リリース時点で約1万人の加入者があった[33]。2014年12月2日、 ネイチャーは、購読者と選択したメディアアウトレットのグループがリンクを共有できるようにし、ジャーナルのコンテンツへの無料の「読み取り専用」アクセスを許可すると発表した。これらの記事は、デジタル著作権管理システムReadCube(Macmillanの子会社であるDigital Scienceが資金提供)を使用して掲載されており、読者がコンテンツをダウンロード、コピー、印刷、またはその他の方法で配布することは許可されていない。ある程度、記事への無料のオンラインアクセスが提供されているが、再利用と配布に制限があるため、完全なオープンアクセスとはなっていない[34][35]。2015年1月15日、Springer Science + BusinessMediaとの合併案の詳細が発表された[36]。
2015年5月、シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア、ホルツブリンク・パブリッシング・グループのネイチャー・パブリッシング・グループ、パルグレイブ・マクミラン(英語版)社、およびマクミラン・エデュケーション(英語版)の4社合併により誕生したスプリンガー・ネイチャーの傘下になった[37]。