大王の死後の帝国の今後を決めるバビロン会議で、ネアルコスは大王と側室バルシネの子ヘラクレス
(英語版)を王位につけることを提案したが、ヘラクレスは庶子であったため賛同者は出なかった。結局は帝国摂政となった大貴族ペルディッカス指導の下でアレクサンドロスの異母兄のアリダイオスがピリッポス3世として即位した。ネアルコスはこの会議でリュキアとパンヒュリアの太守に再びなった。しかしすぐに大王の遺将達(ディアドコイ)の間での抗争が起こり(ディアドコイ戦争)、ネアルコスは当初ペルディッカスに属したが、ペルディッカスの死後の紀元前321年に開催されたトリパラディソスの軍会でネアルコスの所領はアンティゴノスの手に渡り(領土変遷については諸説あり)、彼自身はアンティゴノスの部将となった。彼が最後に歴史の表舞台に立ったのは紀元前312年にアンティゴノスの子デメトリオスの相談役としての従軍であり、それ以降彼がどうなったかは知られていない。
脚注[脚注の使い方]^ アリアノス、『アレクサンドロス大王東征記』、III、6
^ ibid、IV、7
^ ibid、IV、30
^ ibid、VI、2
^ ibid、Z、19
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