古代から裸婦は豊かさと芳醇の象徴と見られる傾向にあった[3]。中世から19世紀のある時期まで、絵画におけるヌードは、神話に題材を取った女神の裸体などの宗教的な絵画表現の場合に限定して認められていた。その後ヌードはモダニズムの考えによって変化していった。 古代ギリシアの実在の女性とされる「フリュネ」は後の画家や彫刻家の創造力を刺激し、多くの作品をもたらした。またフリュネは1953年の映画『Frine cortigiana d'Oriente』にも登場している。理想化された裸体は、エゴン・シーレ[4]の作品のように、個人的な観点で描かれた女性に置き換えられた。パブロ・ピカソ、ムンク、マティス、モディリアニ、ルソーらの画家、ガストン・ラシェーズ、アリスティド・マイヨールらの彫刻家は新しい裸婦像を創造した。
シルヴィア・スレイ[5]は、1970年代に女性だけでなく、男性もヌード・モデルとして起用した。76年の「田園の合奏」では、裸体女性と裸体男性の両方が描かれている。ルシアン・フロイドは、「スクール・オブ・ロンドン」として知られるようになったフランシス・ベーコンを含む少数の画家の一人であった。1970年代に比喩的な美術の仕事をしたが、それは非現実的かつ抽象的だった。しかし、彼の画家人生の後半には、作品において肥満モデルを扱い、ポストモダン時代の象徴となり、理想化の痕跡のない人体を描いた。 明治時代から昭和の戦前までは、日本で公共の場に設置されるヌード彫刻や銅像はタブーとされてきたが、戦後の1951年、東京の三宅坂に初めて女性の裸婦像(平和の群像)が設置された。以降、第二次世界大戦以前に金属供出で減少した銅像を埋める存在として、女性の裸体像が増加していった。このため男性の裸体像よりも女性の裸体像が多い状況が生み出された[6]。しかし21世紀の日本では、裸婦像を公共の場から撤去する動きも見られている[7]。
日本のヌードの歴史
出典^ “ ⇒Scientific Photographer”. 2020年7月3日閲覧。
^ 「アート系映画徹底攻略」p.22、フィルムアート社
^ cite journal |author1=Alan F. Dixson |author2=Barnaby J. Dixson |year=2011 |title=Venus Figurines of the European Paleolithic: Symbols of Fertility or Attractiveness? |journal=Journal of Anthropology |volume=2011 |pages=1?11 |doi=10.1155/2011/569120 。access-date=13 October 2022
^ ⇒http://www.egon-schiele.net/
^ ⇒http://www.sylviasleigh.com/
^ “街のモニュメントなぜ女性の裸体?「公共の場にこれほど多いのは日本だけ」
^ “裸婦像 再設置見送り方針”. 読売新聞 (2022年5月31日). 2022年6月1日閲覧。
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