ヌマ・ポンピリウス
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ヌマは要請を何度も断ったが、ロームルスが建国した時行った例に従って鳥占いをするよう言われ、ユーピテルマールスクゥイリーヌスの三神が同意したという結果が出たので、王位に就くことを決断した[5]。彼の妻は若くして亡くなっていたが、その後ニンフエゲリア(ギリシア神話のカリオペーと同一であるとも)と恋におちて結婚し、政治の助言を貰うためにたびたびパラティヌスの丘の南にあるエゲリアの泉で逢瀬を重ねていたと人々は噂した。

ヌマが即位する前までのローマは、近隣都市からは盗賊の集団と大差ないと思われていたが、彼の治世により法と慣習と祭祀を確立した文化都市へと成長した。ヌマは紀元前673年に天寿をまっとうして死んだが、彼の1人の娘と4人の息子たちはいずれも名門一族の創始者となり、カプリニア氏族やアエミリウス氏族もここから発した。また死後千年が経過した時代においても、ローマを訪れた人はクィリナスの丘に残るヌマの家を案内されたという。
業績

当時のローマ暦は1年が10ヶ月の不正確なものであったが、ヌマはこれに2ヶ月を追加してより正確な暦とした。またローマ内部にあった部族同士のいさかいをなくすために、農民達を「パギ」と呼ばれるさらに小さな集団に分割した。そして商業や手工業に携わる人々は職能別の組織に分割し、それらの共同体を部族よりも重要視させることによって部族対立を消滅させた。そのほか、戦争を抑えるために宣戦布告の権限を「伝令僧」と呼ばれる祭祀職のみに許すようにした。伝令僧は戦争が起こりそうになると対立相手に補償条件を伝え、その回答に満足いかなかったときのみ宣戦布告が行われた。

ヌマの業績の中でもっとも有名なものは、ヤヌス神殿の建立である。これは始まりと終わりの神ヤーヌスに捧げられたもので、この神殿の扉は戦争のときは開かれ、平和なときは閉じられるとされた。扉はヌマの治世中はずっと閉じたままであったが、彼の死後は開いたままとなり、ローマが帝政となるまでの間に閉じられたのはポエニ戦争後の6年間だけであった。

ヌマの孫にあたるアンクス・マルキウスは4代ローマ王となった。
脚注^ 4世紀末に成立したとされる『ローマ皇帝群像』の「アントニヌス・ピウスの生涯」では、その末尾に「アントニヌスは、ヌマ王の幸運と敬虔さ、そして平穏と宗教的儀礼(に対する尊敬)を常に堅持したために、まさしく彼(ヌマ)に比されうるのである」と記している(『ローマ皇帝群像1』(京都大学学術出版会2004年、p131)
^ プルタルコス『対比列伝』ヌマ、3.4
^ ただしピタゴラスはヌマより後の時代の人物である。帝政ローマ時代の歴史家リウィウスも、ヌマがピタゴラスを学んだというのは、彼の思慮深さの理由を求めた作り話ではないかと疑っている(リウィウス 『ローマ建国以来の歴史』岩谷智訳、京都大学学術出版会、2008年、45頁)。
^ プルタルコス『対比列伝』ヌマ、3.7
^ リウィウス『ローマ建国史』1.18

一次史料

プルタルコス, 対比列伝, ヌマ・ポンピリウスの生涯。

リヴィウス, ローマ建国史, Liber 1

参考文献.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ヌマ・ポンピリウスに関連するカテゴリがあります。

フィリップ・マティザック 『古代ローマ歴代誌 7人の王と共和政期の指導者たち』 東眞理子訳、創元社、2004年

グスターフ・シャルク 『ローマ建国の英雄たち 神話から歴史へ』角信雄・長谷川洋訳、白水社、1969年

先代
ロームルスローマ王
第2代
紀元前716年 - 紀元前673年次代
トゥッルス・ホスティリウス










ローマ神話
神々

オリュンポス十二神相当

ユーピテル

ユーノー

ミネルウァ

アポロー

マールス

ウェヌス

メルクリウス

ディアーナ

ネプトゥーヌス

ケレース

ウゥルカーヌス

ウェスタ


その他の神々

男神

ヤーヌス

ウーラヌス

ウェルトゥムヌス

サートゥルヌス

ソール

クピードー

バックス

プルートー

テルミヌス

スムマーヌス

シルウァーヌス

クゥイリーヌス

ファウヌス

リーベル

フェブルウス

オルクス

コーンスス

ロービーグス

ラレース

ペナーテース

ピークス

女神

ユウェンタース

ユースティティア

ユートゥルナ

サラーキア

アブンダンティア

アウローラ

パークス

パルカ

ノーナ

デキマ

モルタ


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