ニュー・ウェイヴ_(音楽)
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ノー・ウェイヴポストパンクネオ・サイケデリックゴシック・ロック/ポジティブ・パンク、 インダストリアル/ノイズミュージックエレクトロ・ポップ/シンセポップニューロマンティックネオスカ/ダブエスニック/ファンカラティーナ、 ブルー・アイド・ソウルネオ・ロカビリーネオ・モッズネオ・アコースティック/ギターポップカレッジ・ロック/ジャングル・ポップ/ペイズリー・アンダーグラウンド[3]
融合ジャンル
Synthpunk、2トーンエレクトロクラッシュニューレイヴ
地域的なスタイル
イギリス、 アメリカ、 アイルランド、ドイツフランス、 ベルギー、 イタリア、 スペイン、 日本
関連項目
ポストパンクオルタナティヴ・ロック
第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン
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音楽におけるニュー・ウェイヴ(英語: new wave)は、1970年代後半から1980年代前半にかけて流行したロックの一ジャンルである。
概要

ニュー・ウェイヴは、パンク・ムーブメントによってロック音楽を取り巻く状況が激変したイギリスにおいて、ポストパンク[4]ディスコワールド・ミュージック現代音楽電子音楽といったさまざまな影響によって成立した[5][6]

ただし、すべての分野における「新しい波」ではなく、1970年代後半から1980年代前半という特定の時期のロックおよび、その周辺ジャンルに限定して適用される音楽用語である[7][3]
歴史
前期

1970年代半ば、それまでロックとして勢いがあったハードロックプログレッシブ・ロックなどが徐々に停滞状況を迎えた。社会的には1973年に起きた石油ショックなどにより、世界的な不況に覆われていた。そうした閉塞感の中で、アンダーグラウンドな活動だったニューヨーク・パンク[8]の少し後、1976年頃に勃興したのがセックス・ピストルズダムドザ・クラッシュなどによるロンドン・パンク[9]である。パンクスの若者たちは、ザ・フーストゥージズらに在ったロック本来の初期衝動を復活させることに腐心した。が、ジョニー・ロットン1978年に「ロックは死んだ」と宣言してピストルズを脱退し、パブリック・イメージ・リミテッドを結成した[10]

New Waveという言葉は、1977年8月頃に英『Melody Maker』紙が、XTCスクイーズ[11][12]などを紹介する記事の中ではじめて使ったという[13]

1973年にロキシー・ミュージックを脱退したブライアン・イーノは翌年以降、前衛的なものやアンビエントのソロ・アルバムを発表し、1977年にはデヴィッド・ボウイの『ロウ』をプロデュースした。そのボウイはイギー・ポップのアルバムをプロデュースした[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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