New Waveという言葉は、1977年8月頃に英『Melody Maker』紙が、XTCやスクイーズ[11][12]などを紹介する記事の中ではじめて使ったという[13]。
1973年にロキシー・ミュージックを脱退したブライアン・イーノは翌年以降、前衛的なものやアンビエントのソロ・アルバムを発表し、1977年にはデヴィッド・ボウイの『ロウ』をプロデュースした。そのボウイはイギー・ポップのアルバムをプロデュースした[14]。
アメリカでは、ニューヨークのクラブCBGBやマクシズ・カンザス・シティにて、ブロンディ、トーキング・ヘッズ、B-52'sなど、ニューウェイヴ・バンドの演奏が行われた[15][16][17]。
1974年にイギリス中部の工業都市にて結成されたキャバレー・ヴォルテールは実験的エレクトロニクス・ユニットの元祖的な存在だった。彼らは、ノイズミュージック集団だったスロッビング・グリッスルらとともに、インダストリアルと呼ばれた[18]。
イギリスのラジオDJ、ジョン・ピールは有望なミュージシャンを紹介し、アンダートーンズ、ザ・フォールなどを非常に熱心に応援していた[19][20]。 1983年頃から人気を博したアダム&ジ・アンツ、デュラン・デュラン、ヴィサージなどのグラム・ロックに影響を受けたバンドは、ニュー・ロマンティクスと呼ばれた[21]。また彼らを筆頭にイギリス勢は、MTV文化も利用してアメリカ進出を果たし、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンとしてヒット・チャートを賑わせた。 一方でパンクやニュー・ウェイヴは、既存の音楽産業に取り込まれて産業ロック化することを拒んでいたため、インディーズ・レーベルと呼ばれる自主制作やマイナー・レーベルが設立されていった[22]。 1980年代に登場したR.E.M.、U2、ザ・スミスやジーザス&メリーチェインもニューウェイヴに含む場合が多い[23]。 日本では、LIZARD、S-KENなどのアンダーグラウンドのバンドたちが1978年(昭和53年)頃から東京ロッカーズとして定期的にギグを始めていた[24]。 当時の日本におけるニューウェイブの定義は、英国のパンク・ムーブメントの後に登場した、新しいスタイルのロック・ミュージックというもので、その定義は曖昧だった[3] 。
後期
日本