ただし、すべての分野における「新しい波」ではなく、1970年代後半から1980年代前半という特定の時期のロックおよび、その周辺ジャンルに限定して適用される音楽用語である[7][3] 。 1970年代半ば、それまでロックとして勢いがあったハードロック、プログレッシブ・ロックなどが徐々に停滞状況を迎えた。社会的には1973年に起きた石油ショックなどにより、世界的な不況に覆われていた。そうした閉塞感の中で、アンダーグラウンドな活動だったニューヨーク・パンク[8]の少し後、1976年頃に勃興したのがセックス・ピストルズ、ダムド、ザ・クラッシュなどによるロンドン・パンク[9]である。パンクスの若者たちは、ザ・フー、ストゥージズらに在ったロック本来の初期衝動を復活させることに腐心した。が、ジョニー・ロットンは1978年に「ロックは死んだ」と宣言してピストルズを脱退し、パブリック・イメージ・リミテッドを結成した[10]。 New Waveという言葉は、1977年8月頃に英『Melody Maker
歴史
前期
1973年にロキシー・ミュージックを脱退したブライアン・イーノは翌年以降、前衛的なものやアンビエントのソロ・アルバムを発表し、1977年にはデヴィッド・ボウイの『ロウ』をプロデュースした。そのボウイはイギー・ポップのアルバムをプロデュースした[14]。
アメリカでは、ニューヨークのクラブCBGBやマクシズ・カンザス・シティにて、ブロンディ、トーキング・ヘッズ、B-52'sなど、ニューウェイヴ・バンドの演奏が行われた[15][16][17]。
1974年にイギリス中部の工業都市にて結成されたキャバレー・ヴォルテールは実験的エレクトロニクス・ユニットの元祖的な存在だった。彼らは、ノイズミュージック集団だったスロッビング・グリッスルらとともに、インダストリアルと呼ばれた[18]。
イギリスのラジオDJ、ジョン・ピールは有望なミュージシャンを紹介し、アンダートーンズ、ザ・フォールなどを非常に熱心に応援していた[19][20]。 1983年頃から人気を博したアダム&ジ・アンツ、デュラン・デュラン、ヴィサージなどのグラム・ロックに影響を受けたバンドは、ニュー・ロマンティクスと呼ばれた[21]。また彼らを筆頭にイギリス勢は、MTV文化も利用してアメリカ進出を果たし、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンとしてヒット・チャートを賑わせた。
後期