ニュー・ウェイヴ_(音楽)
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そうした閉塞感の中で、アンダーグラウンドな活動だったニューヨーク・パンク[8]の少し後、1976年頃に勃興したのがセックス・ピストルズダムドザ・クラッシュなどによるロンドン・パンク[9]である。パンクスの若者たちは、ザ・フーストゥージズらに在ったロック本来の初期衝動を復活させることに腐心した。が、ジョニー・ロットン1978年に「ロックは死んだ」と宣言してピストルズを脱退し、パブリック・イメージ・リミテッドを結成した[10]

New Waveという言葉は、1977年8月頃に英『Melody Maker』紙が、XTCスクイーズ[11][12]などを紹介する記事の中ではじめて使ったという[13]

1973年にロキシー・ミュージックを脱退したブライアン・イーノは翌年以降、前衛的なものやアンビエントのソロ・アルバムを発表し、1977年にはデヴィッド・ボウイの『ロウ』をプロデュースした。そのボウイはイギー・ポップのアルバムをプロデュースした[14]

アメリカでは、ニューヨークのクラブCBGBやマクシズ・カンザス・シティにて、ブロンディトーキング・ヘッズB-52'sなど、ニューウェイヴ・バンドの演奏が行われた[15][16][17]

1974年にイギリス中部の工業都市にて結成されたキャバレー・ヴォルテールは実験的エレクトロニクス・ユニットの元祖的な存在だった。彼らは、ノイズミュージック集団だったスロッビング・グリッスルらとともに、インダストリアルと呼ばれた[18]

イギリスのラジオDJ、ジョン・ピールは有望なミュージシャンを紹介し、アンダートーンズ、ザ・フォールなどを非常に熱心に応援していた[19][20]
後期

1983年頃から人気を博したアダム&ジ・アンツデュラン・デュランヴィサージなどのグラム・ロックに影響を受けたバンドは、ニュー・ロマンティクスと呼ばれた[21]。また彼らを筆頭にイギリス勢は、MTV文化も利用してアメリカ進出を果たし、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンとしてヒット・チャートを賑わせた。

一方でパンクやニュー・ウェイヴは、既存の音楽産業に取り込まれて産業ロック化することを拒んでいたため、インディーズ・レーベルと呼ばれる自主制作やマイナー・レーベルが設立されていった[22]

1980年代に登場したR.E.M.U2ザ・スミスジーザス&メリーチェインもニューウェイヴに含む場合が多い[23]
日本

日本では、LIZARDS-KENなどのアンダーグラウンドのバンドたちが1978年昭和53年)頃から東京ロッカーズとして定期的にギグを始めていた[24]

当時の日本におけるニューウェイブの定義は、英国のパンク・ムーブメントの後に登場した、新しいスタイルのロック・ミュージックというもので、その定義は曖昧だった[3] 。テクノ御三家(P-MODELヒカシュープラスチックス)及びYMO等の活動についてはテクノポップを参照。

1998年頃には『ネオ・ニューウェーブ』というリバイバルムーブメントがインディーズシーンを中心に発生しており、また00年代以降も山口一郎率いるサカナクションをはじめニューウェイブ的要素を楽曲に取り入れて活動するアーティストが複数現れる[25]など、後年のJPOPシーンにも一定の影響を与えている。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。 (2021年9月)

アーティスト「ニュー・ウェイヴのアーティストの一覧」を参照
脚注[脚注の使い方]^ Cooper,Kim, Smay, David, Bubblegum Music is the Naked Truth (2001), page 248 "Nobody took the bubblegum ethos to heart like the new wave bands"/
^Bernard Edwards, 43, Musician In Disco Band and Pop Producer The New York Times 22 April 1996 "As disco waned in the late 70s, so did Chic's album sales. But its influence lingered on as new wave, rap and dance-pop bands found inspiration in Chic's club anthems"
^ a b c “ニュー・ウェイヴのススメ 序章”. VICE JAPAN (2016年6月1日). 2018年6月3日閲覧。


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