作家トム・ウルフはニューヨークについて、「文化が空気の中にあるようだ。天気の一部のように」と述べている[88]。アメリカにおける数々の文化的ムーブメントはこの街で始まった。ハーレム・ルネサンスは、アフリカ系アメリカ人文学の規準を作った。
1940年代にはジャズの、1950年代には抽象表現主義の中心地となり、1970年代にはヒップホップを生んだ。パンクやハードコア・パンクの動きは1970年代から1980年代にかけて大きな影響力を持ち、ユダヤ系アメリカ人文化も長い間栄え、ニューヨーク知識人が生まれた。近年、ニューヨークから出てきたインディー・ロックのバンドとしては、ザ・ストロークス、インターポール、ザ・ブレーバリー、シザー・シスターズ、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツなどがある。
舞台アメリカ最大の舞台芸術複合施設である「リンカーン・センター」
リンカーン・センターは、アメリカ合衆国で最大の舞台芸術センターであり、ジャズ・アット・リンカーン・センター、メトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・シティ・オペラ(2013年10月1日、連邦倒産法適用申請発表)[89]、ニューヨーク・フィルハーモニック、ニューヨーク・シティ・バレエ団、ビビアン・ボーモント劇場、ジュリアード音学院、アリス・タリー・ホールなどがその中に置かれている。
「セントラル・パーク・サマーステージ」では、セントラル・パークで舞台や音楽の上演が無料で行われるほか、夏の間、5つの行政区すべてで、1,200ものコンサート、ダンス、劇場イベントが無料で行われる[90]。 アメリカ映画産業の中でも、ニューヨークは重要な役割を果たしている。初期のアバンギャルド映画である「マンハッタ」(1920年)は、ニューヨークで撮影された[91]。任天堂のマリオはこの街に住んでいた人物がモデルである。今日、ニューヨークはアメリカ合衆国の映画産業にとって規模第2の中心地である。2,000を超える芸術・文化団体や、500を超える大小のアート・ギャラリーがある[92]。 市政府の芸術に対する支出は、アメリカ政府の国家芸術基金の予算よりも多い[92]。19世紀の富裕な実業家によって、カーネギー・ホールやメトロポリタン美術館といった重要な文化施設のネットワークが築かれた。電灯の出現により、手の込んだ劇場作品が生まれ、1880年代にはブロードウェイや42番ストリート沿いの劇場で「ブロードウェイ・ミュージカル」として知られることになる新しいステージが上演されるようになった。近年は、従来のミュージカルの範疇を超えたパフォーマンスアート、無言劇など、より実験的な舞台を小規模な劇場で公演するオフ・ブロードウェイが出現している。 移民の影響を強く受け、ハリガン・アンド・ハート、ジョージ・M・コーハンらの作品は、希望や野心といったテーマを多く取り入れた物語の歌を用いた。これらの作品は、現在、ニューヨークの演劇界の主力となっている。ニューヨークの39の大劇場(座席数が500超)を、タイムズスクエア劇場地区を通る大通りであるブロードウェイから取って、併せて「ブロードウェイ」と呼ぶ[93]。また、「メイン・ステム」「グレート・ホワイト・ウェイ」「リアルト」と呼ばれることもある。 ニューヨークには、毎年4,700万人の外国人・アメリカ人が訪れ、観光の重要性は高い[95]。有名な観光名所としては、エンパイア・ステート・ビルディング、ウォルドルフ=アストリア、エリス島、ブロードウェイ劇場、メトロポリタン美術館を始めとする博物館・美術館などがある。 その他にもセントラル・パーク、ワシントン・スクエア・パーク、ロックフェラー・センター、タイムズスクエア、リトル・イタリー、チャイナタウン、ブルックリン橋、ブロンクス動物園、コニーアイランド、フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク、ニューヨーク植物園、サークルラインの船でマンハッタン島一周、また5番街やマディソン・アベニューでのリッチな買い物、さらにグリニッジ・ヴィレッジでのハロウィーン・パレード、メイシーズ・サンクスギヴィング・デイ・パレード、セントパトリックス・デー・パレード、冬季のセントラル・パークでのアイス・スケートなどの季節のイベント、トライベッカ映画祭、セントラル・パーク・サマーステージでの無料公演といったイベントなど、観光客を引きつけるものは数多い。
映画
観光タイムズスクエアは「世界の十字路」との異名をとる[94]