ニューヨーク
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これらの舞台となったのは、ウォール街のフェデラル・ホールであった[32]1790年には、ニューヨークはフィラデルフィアを抜いてアメリカ合衆国最大の都市へと成長していた。

19世紀、ニューヨークは移民と開発によって大きく変貌した。1811年委員会計画によって、マンハッタン全域が格子状の通りで覆われた。1819年エリー運河が開通し、大西洋の港と北アメリカ内陸部の広大な農業市場とを結んだ[33]。この地域の政治を牛耳ったのは、アイルランド系移民に支えられた政治的マシーンであるタマニー・ホールであった[34]。公共精神あふれる商人階級の陳情によって、セントラル・パークの建設が始まり、1857年にアメリカの都市の中で最初の景観設計された公園となった。マンハッタンやブルックリンには、大勢の自由黒人もいた。ニューヨークでは1827年まで奴隷制が維持されていたが、1830年代、ニューヨークは北部における奴隷制廃止運動の中心地となった。1840年の時点で、ニューヨークの黒人人口は1万6,000人を超えていた[35]。1860年までにアイルランド系の人口は20万人を超え、市の人口の4分の1を占めていた[36]マンハッタンのロウアー・イースト・サイド、マルベリー・ストリート(1900年ごろ)

南北戦争(1861年 - 1865年)の時の徴兵制に対する不満から、1863年ニューヨーク徴兵暴動が発生した。これはアメリカ史の中で最悪の暴動のひとつとなった[37]1898年、ブルックリン(当時独立市であった)と、ニューヨーク郡(ブロンクスの一部を含んでいた)、リッチモンド郡、そしてクイーンズ郡西部が合併して、現在のニューヨーク市が形成された[38]1904年にはニューヨーク市地下鉄が開通し、新しい市の統合に役立った。20世紀後半、ニューヨーク市は世界の産業、商業、情報の中心地となった。しかし、その陰では犠牲もあった。1904年、蒸気船ジェネラル・スローカム号がイースト・リバーで火災に遭い、乗っていた1,031人が死亡した。1911年に起きたトライアングル・シャツウェイスト工場の火事は、ニューヨーク市で最悪の産業災害で、146人の衣類製造工場労働者が死亡し、国際女性衣類労働組合の成長を促すと共に工場の安全基準の大幅な改善につながった[39]ロックフェラー・センターから見たミッドタウン(1932年)

1920年代、ニューヨーク市はアフリカ系アメリカ人の大移動南部から来たアフリカ系アメリカ人にとっての主要な行き先となった。1916年までに、ニューヨーク市に住むアフリカ系都市移住者は北アメリカで最多となった。禁酒法時代にはハーレム・ルネサンスが栄え、それと同じころ急激な経済成長にともない超高層ビルが競うように建てられ、街の風景は大きく変わった。1920年代初頭にニューヨーク市はロンドンを抜いて、世界で最大の人口を擁する都市となった。またニューヨーク都市圏の人口は、1930年初頭に1,000万人を超え、人類史上最初のメガシティとなった[40]世界恐慌の時代には、改革派のフィオレロ・ラガーディア(Fiorello LaGuardia)が市長に選出され、市政を牛耳ってきた利権団体タマニー・ホールは80年に及ぶ政治的支配を失った[41]

第二次世界大戦からの兵士の復員によって戦後経済の勃興が始まり、クイーンズ東部で広大な住宅地域の開発が進んだ。ニューヨークは戦争の傷跡を見せずに、世界の一流都市へと成長した。ウォール街はアメリカを世界経済の覇者へと押し上げ、国際連合本部ビル1950年完成)の設置はニューヨークの政治的影響力を知らしめた。ニューヨークで生まれた抽象表現主義は、この街をパリに代わる世界の芸術の中心地へと変えた[42]9.11テロの前のロウアー・マンハッタン(2001年8月)

1960年代のニューヨークは経済的停滞・犯罪率の上昇・人種間対立の高まりに苦しみ、1970年代にピークを迎えた。1980年代は、金融業の盛り返しによって市の財政は改善を見せた。1990年代までに人種間対立も緩和し、犯罪率は劇的に下落した。そしてアジアラテンアメリカからの新しい移民の波が訪れた。シリコンバレーのような新しい産業部門も興り、ニューヨークの人口は2000年国勢調査で史上最高に達した。

ニューヨークは2001年9月11日同時多発テロの現場のひとつとなり、ワールド・トレード・センターの崩壊で、3,000人近くの人が命を落とした[43]。跡地には2014年に開業した1 ワールドトレードセンター(旧称フリーダム・タワー)を含む新たな高層ビルが慰霊の広場やテロに関する記念館を囲む形で建設されている。現在も工事は続いており、再開発の完了は2028年頃を予定している。
自然
地勢Hamilton Parkから望むマンハッタン島ニューヨーク都市圏の中心部を写した衛星写真。ここに写った地域に1,000万人以上が暮らす。

ニューヨーク市は北東部にあるニューヨーク州の南東部に位置し、ワシントンD.C.ボストンマサチューセッツ州)のおよそ中間にある[44]。緯度経度は北緯40度46分 西経73度54分 / 北緯40.767度 西経73.900度 / 40.767; -73.900で、緯度は日本の青森市とほぼ同じ。ハドソン川の河口に当たる。ハドソン川は、天然の港に流れ込み、さらに大西洋へつながっており、街の交易都市としての発展に貢献してきた。ニューヨーク市の大部分はマンハッタンスタテンアイランドロングアイランドという3つの島の上にある為陸地面積が狭く、人口密度が高い原因となっている。

ハドソン川はハドソン渓谷[45]を通ってニューヨーク湾に流れ込み、河口はニューヨーク市とトロイ市の間の三角江となっている[46]。またハドソン川によってニュージャージー州とニューヨーク市が隔てられている。イースト川(実際には海峡)はロングアイランド湾から流れ、ブロンクスおよびマンハッタンと、ロングアイランドとを隔てている。ハーレム川(実際にはイースト川とハドソン川をつなぐ海峡)は本土の一部であるブロンクスと、マンハッタンとを隔てている。

市の地形にはかなり人の手が加わっている。オランダ植民地時代から、川岸に沿って大規模な埋め立てが進められたためである。埋め立てがもっとも進んだのはロウアー・マンハッタンであり、1970年代から1980年代にかけてバッテリー・パーク・シティの開発が行われた[47]。自然の地勢は、特にマンハッタンにおいては平坦にならされた[48]。マンハッタンはもとは丘の多い地形で、非常にしっかりとした岩盤(マンハッタン片岩)が地下にあるため、超高層ビルの建設に適した地形である。


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