その後、ビーチの地下鉄は人々から忘れ去られたが、1912年になりBMTブロードウェイ線シティホール駅の建設現場で偶然発見され、取り壊されて同駅の一部となった[18][19][15]。 ビーチの試みが失敗に終わった一方、地下鉄開業以前のニューヨークでは高架鉄道が発達した。最初の高架鉄道は技師のチャールズ・ハーヴェイがグリニッジ・ストリートに建設したウェストサイド・アンド・ヨンカーズ・パテント鉄道(West Side and Yonkers Patent Railway,後のIRT9番街線[20])である[21][22][15]。 この路線は全長4分の1マイルの高架式ケーブルカーで、ビーチの地下鉄同様デモンストレーションを目的とし1867年7月3日に最初の試験走行を行った[22][15]。試験結果は良好で、ハーヴェイは路線を9番街を北上してマンハッタンの北端まで延伸する許可を得たが、1869年に発生した金融危機
高架鉄道の発達
その後、1880年までにニューヨーク高架鉄道が3番街と9番街、新たに設立されたメトロポリタン高架鉄道 (Metropolitan Elevated Railway) が2番街と6番街に高架鉄道を開業させ、1879年には両社はともに鉄道王ジェイ・グールドの支配するマンハッタン鉄道 (Manhattan Railway Company) の傘下に統合された[25][26][27][28][24]。高架鉄道は1880年には6803万1757人、1890年には1億8820万3877人を輸送するようになっていたが、騒音や煙を撒き散らすとともに街路への採光を妨げ、激しい混雑や運行速度の遅さなど都市高速鉄道としては問題が多く、住民の反対運動を招くことになった[29][28][19]。
地下鉄の開業
地下鉄建設へIRT路線図(1906年)1904年10月27日に最初に開業した駅の一つIRTレキシントン・アベニュー線シティホール駅
高架鉄道への不満が高まるに連れて地下鉄への関心も次第に高まり、1888年に当時のニューヨーク市長エイブラム・ヒューイットは、ニューヨーク市自らが地下鉄を建設することを決定した[30]。
ヒューイットは市当局や納税者の負担を抑えつつ地下鉄網を整備するため、市の負担で地下鉄を建設した後運営権を民間企業にリースする方法を考案し、土木工事の請負業者であるジョン・B・マクドナルドが落札して1900年2月21日にコントラクト・ワン (Contract 1) と呼ばれる契約を交わした[31][32][30][33][34]。しかし、マクドナルドは契約に必要な担保を用意できなかったことから、資産家のオーガスト・ベルモント・ジュニアの支援を受けざるをえなくなり、実権はベルモントが握り、マクドナルドは単なる請負人という立場にとどまることになった[32][33][34]。コントラクト・ワンに基づく路線の建設工事は1900年3月24日に開始され、1902年には完成後の受け皿としてインターボロー・ラピッド・トランジット (Interborough Rapid Transit Company、IRT) が設立された[32][33][34]。 ニューヨークで最初の地下鉄はロウアー・マンハッタンにあるシティホール駅と、ハーレム、ハミルトン・ハイツ
開業
地下鉄の建設と運営はニューヨーク市との間で交わされた契約に基づいて行われていたが、その後ニューヨーク市は1913年にブルックリンで高架鉄道と路面電車を運営していたブルックリン・ラピッド・トランジット (Brooklyn Rapid Transit Company, BRT) とも別個の地下鉄建設契約を締結し、この2社に競わせる形で市内の地下鉄の建設を推進した(デュアル・コントラクツ)。