ヌエバ・エスパーニャの一部だったので、メキシコ独立戦争の後の1821年にメキシコが独立すると、ニューメキシコもその一部として継承された[3]:109。テキサス共和国が1836年にメキシコから分離したときに、リオ・グランデ川東岸の部分の領有を主張した[9]。テキサスはコマンチェリアによってニューメキシコと分離されており、その主張する領土を支配しようとした唯一の試みはテキサス・サンタフェ遠征だったが失敗した。ニューメキシコの最北端は当初フランスが支配していたが、1803年にルイジアナ買収の一部としてアメリカ合衆国に売却されていた[10]。1800年までにスペイン人の人口は25,000人に達していたが、アパッチ族とコマンチェ族がヒスパニック系開拓者を襲い続け、アメリカ合衆国によって支配される時代まで続いた[11]。
1846年から1848年の米墨戦争と1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約の結果、メキシコがまだ入植をほとんど進めていなかった北部地域、今日アメリカ合衆国南西部と呼ばれる地域とカリフォルニアをアメリカ合衆国に割譲した[3]:132。1850年妥協によって、テキサスが1,000万ドルと引き替えに、リオ・グランデ川東岸にある地域の領有権主張を取り下げた[3]:135。アメリカ合衆国は1853年のガズデン購入によって、ほとんどが砂漠であるニューメキシコ南西部のブーツのかかと部分とアリゾナのヒラ川南部を獲得した。これはアメリカにとっては大陸横断鉄道の建設に関わる所だった[3]:136。
アメリカ合衆国議会は1912年1月6日にニューメキシコを47番目の州として昇格させた[3]:166。
第二次世界大戦の間、ロスアラモスで最初の原子爆弾が設計・製造され、ソコロとアラモゴードの間にあるホワイトサンズ実験場の砂漠で最初の核実験が行われた[3]:179?180。
ニューメキシコ州は連邦政府の予算から恩恵を受けている。3つのアメリカ空軍基地、ホワイトサンズ・ミサイル実験場およびロスアラモスとサンディアにある国立研究所が州内にある。第二次世界大戦後、州の人口は急速に拡大し、1940年の531,818人から2000年の1,819,046人まで成長した[12][13]。州内で雇用が拡大している分野には、電子工学、コールセンターおよびインディアン・カジノがある[14]。
地理ウィーラー峰、サングレ・デ・クリスト山脈アステカ遺跡国立保護区カールズバッド洞窟群国立公園リオ・グランデ川峡谷シップロック日の出のリャノ・エスタカードのキャップロック「ニューメキシコ州の郡一覧」も参照
ニューメキシコ州の面積は121,412平方マイル (314,460 km2) であり、アメリカ合衆国で5番目に大きい州である[15]。