ニューハンプシャー州
[Wikipedia|▼Menu]
家庭で話される言語(ニューハンプシャー州) 2010[2]

英語  91.95%
スペイン語  2.17%
フランス語  2.14%

人種構成(ニューハンプシャー州) 2010

白人  92.3%
ヒスパニック  2.8%
アジア系  2.2%
黒人  1.1%
インディアン  0.2%
混血  1.6%

歴史主要記事:ニューハンプシャー州の歴史ウィリアム・アンド・メアリー砦(英語版)、1705年

ニューハンプシャー州となった地域にヨーロッパ人が入ってくる以前、アルゴンキン語族の様々な部族(アベナキ族、ペナコック族など)が住んでいた。1600年から1605年にイングランド人やフランス人の探検家が訪れ、1623年にはイングランド人漁師が現在のライ町にあるオディオーンズポイントに入植した。最初の恒久的な開拓地はヒルトンズポイント(現在のドーバー市)だった。1631年までにアッパープランテーションが現在のドーバー、ダーラム、ストラサムの町で構成されていた。1679年、このプランテーションが「王室領」となった。植民地人とワバナキ連邦の間に起きたラル神父戦争はニューハンプシャーの全土で戦われた。

アメリカ独立戦争のとき、ニューハンプシャーはイギリスに反旗を翻した13植民地の1つとなった。戦争が始まるときまでに、ニューハンプシャーは分裂した植民地になっていた。海岸部の経済と社会生活は製材所、造船所、商人の倉庫を中心に回り、村や町の中心ができた。裕福な商人は豪華な家を建て、贅沢品で装飾し、資本を貿易や土地投機に投資した。一方社会の末端では、日雇い労働者、船員、年季奉公者、さらには奴隷まで固定的な階層ができていた。

ニューハンプシャーが唯一戦場になったのは、1774年12月14日のウィリアム・アンド・メアリー砦(英語版)襲撃だった。ポーツマス港にあったこの砦で反乱者はかなりの量の火薬、小火器、大砲を手に入れた。襲撃の指揮者ジョン・サリバン将軍は「火薬、小火器、銃剣、弾薬箱、さらに大砲や弾薬の貯蔵品」と表現していた。この襲撃に先立って、前日の12月13日にポール・リビアから地元の愛国者に、砦はボストンから海を渡ってくる部隊で補強されるという警告があった。伝説では、この時の火薬をデメリット少佐が運びバンカーヒルの戦いで使われたとされている。デメリット少佐はニューハンプシャーの愛国者の1人であり、火薬を自分達の家に蓄えておき、革命に使われるよう他所に運んだ。

1944年には州北部のブレトン・ウッズで国際通貨金融会議が開かれ、戦後の国際金融市場の礎となったブレトン・ウッズ協定が締結された。

ニューハンプシャー州はジャクソン流民主主義の地盤だった。1852年の大統領選挙で、州出身のフランクリン・ピアースホワイトハウスに送った。多くの繊維工場が造られて工業化が進行し、ケベックのフランス系カナダ人やアイルランドからの移民が大挙流入した。州北部では製材業が発展し、山岳部は観光地になった。1960年以降に繊維産業が崩壊したが、経済はハイテク産業とサービス産業を核に再生された。

1952年から大統領選挙の年に一番早く予備選挙を行うようになって、国内国外から注目を集めるようになった。二大政党にとっての重要な試金石になっていった。メディアはアイオワ州と並んでニューハンプシャー州の予備選挙に大きな取扱をするようになり、州の影響力を上げていった。
地理

参照:ニューハンプシャー州の郡一覧、List of mountains in New Hampshire、List of lakes in New Hampshire、List of New Hampshire riversニューハンプシャー州の主要な道路と都市標高5,774 フィート (1,760 m)のアダムズ山、プレジデンシャル山地にある

ニューハンプシャー州はニューイングランド地域の一部である。北部および北西部でカナダケベック州、東部でメイン州および大西洋、南部でマサチューセッツ州、西部でバーモント州と隣接している。ニューハンプシャー州を地理的に区分すると、グレートノース森林地帯、ホワイト山地、湖水地域、海岸地域、メリマック・バレー、モナドノック地域、およびダートマス・スナピー湖地域に分けられる。ニューハンプシャー州の海岸線は18 マイル (29 km) しかなく、アメリカ合衆国の海岸にある州としては最も短い[3]。測量によっては13マイル (21 km) しかないとも言われる[4]。フランコニア・ノッチに顔のような形をした「オールド・マン・オブ・ザ・マウンテン」と呼ばれる岩層があり、州の25セント硬貨のデザインにも使われているが、2003年5月に崩壊した。

州内のホワイト山地は北中部に広がっており、ワシントン山アメリカ合衆国北東部の最高峰であり、国内で2番目の風速を記録した所である[5]。その回りをマディソン山やアダムズ山が囲んでいる。ワシントン山ではハリケーン並みの風が3日に1度は吹き、これまで100人以上の死者を出し、クルムホルツと呼ばれる風で異様に曲げられた樹木があり、頂上付近にある気象観測所の気候は「世界最悪の気象」にあると言われている[6]

州南西隅の平らな地域にはモナドノック山があり、ここからモナドノック(残丘)という地形を表す言葉が生まれた。これは地形学的に浸食を受けやすい平原からそびえ立つ孤立峰を指している。

主要河川としては長さ110マイル (176 km) のメリマック川(英語版)(Merrimack River)があり、州の南半分を南北に二分し、マサチューセッツ州ニューベリーポートに流れている。その支流としては、コントゥクック川(英語版)、ペミゲワセット川(英語版)、ウィニペソーキー川(英語版)がある。州内のコネチカット湖群から流れる長さ410マイル (660 km) のコネチカット川コネチカット州に向かって南流し、バーモント州との州境になっている。州境はよくあるように川の中心ではなく、西岸バーモント州側の低水位線である。すなわち川の流域面積は全てニューハンプシャー州に入っていることになる[7]。ピッツバーグの町のみがバーモント州との陸続き州境となっている。コネチカット川の北西端水源は、カナダとニューハンプシャー州の国境にもなっている。ニューハンプシャー州の起伏を表す図

ピスカタカ川が幾つかの支流を集め、大西洋(メイン湾)に出るところに、州内唯一の外洋港ポーツマスがある。サーモンフォールズ川とピスカタカ川が、メイン州との州境南部を造っている。ピスカタカ川の州境は2001年にニューハンプシャー州とメイン州の間の境界論争となり、ニューハンプシャー州はポーツマス海軍造船所のあるシーベイズ島など幾つかの島の領有権を主張した。アメリカ合衆国最高裁判所はこの訴訟を2002年に差し戻し、島の所有権はメイン州のままとなっている。

州内最大の湖は東中部にあるウィニペソーキー湖であり、面積は71平方マイル (184 km2) ある。メイン州境にあるアンバゴグ湖が面積12.3平方マイル (31.9 km2) で第2位である。州内に全てが入っている湖としては、スクァム湖が第2位である。

ハンプトンビーチが夏の観光地になっている。その7マイル (11 km) 沖合に9つの小島でできたアイルズ・オブ・ショールズ(ショールズ諸島)があり、4つの島が州内に入っている。ここは19世紀に詩人のセリア・サクスターが設立した芸術村として知られ、また海賊黒髭が宝を埋めた場所の1つとも言われている。

ニューハンプシャー州はメイン州に次いで森林面積比率が高い[8]。温帯広葉樹混交林生態系にある。州の大半、特にホワイト山地はニューイングランド・アケイディア森林の針葉樹と北部硬木に覆われている。州の南東隅とバーモント州境となるコネチカット川沿いはオークの混ざった北東部海岸森林である[9]

州の北側3分の1は地元で「ノースカントリー」あるいは「ノッチの北」と呼ばれる。これは交通を遮るホワイト山地の峠のことを言っている。そこには州民の5%足らずしか住んでおらず、貧窮率が比較的高く、製材業や製紙業が衰退するにつれて、人口も徐々に減ってきている。しかし、観光業が製造業の閉鎖で失われた経済を埋め合わせている。
気候

ニューハンプシャー州は湿潤大陸性気候にあり、ケッペンの気候区分では南部で Dfa、北部で Dfb となる。夏は暖かくて湿度が高く、冬は寒くて降水が多い。年間を通して均一に雨が降る。南東部の気候は大西洋によって和らげられ、比較的穏和で雨の多い気象になるのに対し、北部と内陸部は冷涼で雨が少ない。冬は州の全体で寒く雪が降る。特に北部や山岳部では厳しい。年間平均降雪量は60インチ (150 cm) から100インチ (250 cm) 以上まで幅がある[10]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:126 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef