ニューディール政策
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経済学者の矢野浩一は「ニューディールは、『財政政策による効果が大きかった』と考えられてきたが、その後の研究で『金融政策・財政政策を組み合わせた政策パッケージ(ポリシーミックス)に効果があった』」と理解されるようになった」と指摘している[16]。矢野は「1937年にアメリカ政府は増税を実施し、FRBも金融を引き締めたために、1938年には景気が腰折れし、再度不況に突入した。これが『1937年の失敗』」と呼ばれる歴史的教訓である」と指摘している[16]

経済学者のロバート・ルーカスは、「1934年の預金保険の整備、グラス・スティーガル法による銀行と証券の分離によって、銀行が過度なリスクをとれないようにする金融規制の体系が整った」としており、「この銀行規制は数十年にわたって、大恐慌の再発を防止した」としている[17]
金融政策

経済学者のクリスティーナ・ローマーは、「大恐慌期のGDP回復は、ほとんど金融緩和によってもたらされた」とする論文を発表している[18]ベン・バーナンキは、大恐慌期からの回復・デフレ脱却は、金本位制停止による金融緩和の実現可能性が寄与したとしている[18]
財政政策

経済学者の田中秀臣安達誠司は「ルーズベルト大統領の『ニューディール政策』は、財政支出の規模は対GDP比で5%前後とフーヴァー大統領の時代とそれほど変化はなかった」と指摘している[19]

クリスティーナ・ローマーは、ニューディールの財政政策は効果がなかったと、経済史的研究から結論づけている[20]。ローマーは、1930年代からの重要な教訓は、小さい財政刺激は小さい効果しかもたないことだ(One crucial lesson from the 1930s is that a small fiscal expansion has only small effects.)と2009年に述べている[21]。2013年には「私の考えでは、大恐慌から学べるのは、この理論【財政政策は試してみれば機能する】が実証的な根拠によって確証されるということです。1930年代に用いられたとき、財政政策は現に回復に拍車をかけています。主な問題点は財政政策が余り用いられなかったことなのです。」と述べている[22]

ポール・クルーグマンは以下のように述べている。

「一部の経済学者は大恐慌やその意味合いを決して忘れなかった。その一人がクリスティ・ローマーである。危機開始から4年経った今(2012年)、財政政策に関する優れた研究(そのほとんどが若い経済学者によるもの)が増えつつある。そうした研究は概ね、財政刺激は有効だと裏付けるものであり、大規模な財政刺激をすべきだと示唆している。」[23]

「特に私やスティグリッツやクリスティーナ・ローマーが、不況に直面して支出削減をするのはそれを悪化させるだけで、一時的な支出増が回復に有益だと主張しているのを読んだときに、『これは彼らの個人的見解である』とは思わないようになってくれることを願いたい。ローマーが財政政策についての研究に関する最近の演説で述べたように、財政政策が重要だという証拠は、かつてないほど強くなっています??財政刺激は経済が職を増やすのに役立ち、財政赤字を減らそうとすれば少なくとも短期的には成長を引き下げてしまうのです。それなのに、この証拠は立法プロセスには伝わっていないようです。僕たちはそれを変えなければならない。」[24]

ロバート・ルーカスはローマーの分析を「他の理由ですでに決まっていた政策に対して、後付けで正当化を行った迎合」と批判した[25]

ロバート・ルーカスの見解について、ポール・クルーグマンは「その根拠は『リカードの中立命題』という原理だった。そしてその主張によって、その原理の実際の仕組みをそもそも知らないか、知っていたにしても忘れてしまっていることを暴露した」と批判した[26]

小室直樹は、「ニューディール政策の多くは、あまりにも革命的でありすぎたため、つぎつぎに連邦最高裁によって違憲判決が下されたほどであった。ルーズベルト大統領は、仕方なく、親ルーズベルト的法律家を、多数、最高裁判事に任命して、やっと合憲判決をせしめるという戦術をとらざるをえなかった。普通の人々の会話において、「あいつはニューディーラー」だと言えば、戦前の日本において、「あいつはアカだ」というくらいの意味であった。」「せっかくTVA(テネシー渓谷開発公社)などの設備投資増大政策をとっても、古典派(当時のアメリカにおいては、圧倒的多数派であった)に反対されると、すぐよろめく。そんなに設備投資をして政府支出を激増させると財政は破綻するぞと諫められると逡巡する。」と述べている[27]

宇沢弘文は、「アンシャンレジームは特にTVAに必死に抵抗し、「民間がやるべき仕事を政府がやるのは違憲だ」という訴訟を何度も起こし、連邦最高裁判所も違憲判決を出す。それを受けて、1943年、TVAは組織を大幅に変えて、地方政府の資金で地域開発を担当する制度となって、辛うじて社会的共通資本としての体裁を保つことができた。TVAと銀行法の二つを市場原理主義者たちが繰り返し批判し、その解体を試みたわけである」と述べている[14]
ケインズとの関係

ルーズベルト自身は財政均衡主義者であり、赤字財政に否定的だったとされている[28]。ケインズが提案した財政政策をルーズベルトが採用したとされているが[29]、それについてはルーズベルト自身が否定している[28]。ルーズベルトは、1934年にケインズと一度だけ会っているが、「統計の数字ばかりで理解できなかった」と話している[28]。ケインズと直接対話したルーズベルトは、ケインズの赤字国債発行による景気刺激政策の話を「途方もないホラ話」と切り捨てたとされる[30]。なお、ニューディール政策は1933年から実施されており、ケインズの『一般理論』は1936年に出版されている[28]
日本

戦後の日本人の常識の一つに、世界恐慌はルーズベルト大統領によるケインズ型の財政政策によって回復した、というものがある[31]

田中秀臣は「今日のケインズ政策の理解の原型(ニューディール型の政策による世界恐慌からの脱出というシナリオと金融政策の事実上の無視)は都留重人によって広められた」と指摘している[32]

経済学者の都留重人は「『国民的利益』概念の2つである『国防』と『全的就業』が同時に満たされたことが、太平洋戦争開始に至るまでの好戦的態度の十分の根拠となった。『ニューディール』政策はこうして戦争に繋がっていった」と指摘している[33]。田中秀臣は「政府のケインズ型財政政策が戦争を招き、戦争によって世界恐慌が解決された、という今日でも散見される主張の起源は、都留によるものである」と指摘している[33]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「ニューディール」とは、トランプゲームなどで親がカードを配り直すことを言い、それに喩えて政府が新たな経済政策を通じて国家の富を国民全体に配り直すことを意味している。
^ 『中学社会 歴史』(教育出版株式会社。平成10年/1998年1月20日発行。文部省検定済教科書。中学校社会科用)p.243には、「この政策は, ニューディール(新規まきなおし)と呼ばれ」と記載されているし、『新しい社会 歴史』(東京書籍株式会社。文部科学省検定済教科書。中学校社会科用。平成16年/2004年2月10日発行)p.165には、「アメリカでは, それまでの自由経済から方針を転じて, ルーズベルト大統領のもと, 1933年からニューディール(新規まき直し)という政策をとりました。」と記載されており、『詳説世界史B』(株式会社山川出版社文部科学省検定済教科書。高等学校 地理歴史科用。2004年(平成16年)3月5日発行)p.305には、「これら一連の政策はニューディール(新規まき直し)とよばれ」と記載されている。なお、『社会科 中学生の歴史』(株式会社帝国書院文部科学省検定済教科書。中学校社会科用。平成20年(2008年)1月20日発行)p.200には、「ニューディール政策」と記載されている。
^ これ以降、新大統領が「最初の100日間で何をするか」というのが大統領選挙における最も重要な公約となった。


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