一方、宇宙世紀シリーズ以外の作品を含む富野が手掛けなかったガンダムシリーズの作品でも、ニュータイプの概念はオマージュされて導入されており[21][9]、ニュータイプの能力が発現する際の「額に稲妻のようなエフェクトが走る」といった演出は、「お約束」として一般にも広く知られるようになった[11]。 テレビアニメ版『機動戦士ガンダム』では終盤の第38話で唐突に登場する「ニュータイプ」という単語だが[3]、富野は『機動戦士ガンダム』企画書の段階で既に作中での「エスパー」(ニュータイプ)の登場を想定し[22][3][23]、「人類の革新」を作品のテーマとすることを構想していた[22]。一方でエスパー(超能力者)という概念は『機動戦士ガンダム』企画当時には既に、使い古され手垢にまみれた表現であった[24]。富野はその概念を「エスパーという特異なもの」にすることを避けつつも、定義を曖昧にしたまま「人類の革新」という大義を想起させるような「ニュータイプ」という単語を当てはめることにした[25]。富野が語るところによれば、終盤までその単語が登場しなかったのは、「ニュータイプ」という単語を思いつくまでに時間がかかったためであるとされる[26][3]。 富野自身はニュータイプを「エスパー、超能力者と同じ程度の扱いか、それよりやや高い扱い」と意味づけていた[27]。放送直後の当時の富野が語ったところによれば、その概念は「人間同士の思惟が直結することによりコミュニケーション(意思伝達)に誤解が生じなくなり、誤解なく通じ合った意思や考え方が重なり合うことにより相乗効果の増幅が得られる」というものであったとされる[28]。しかし富野が製作段階で各脚本家にニュータイプの設定について意図的に説明しなかったため、スタッフ間でニュータイプの概念について統一した理解が構築されることはなく[22][29]、安彦良和(後述)や星山博之といった主要なスタッフは富野が提示するニュータイプの概念に対して口々に違和感を表明している[29]。
原作者らのニュータイプ概念の変遷と意図
富野由悠季の考え