ニュージーランド
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北はトンガニューカレドニアフィジーがある。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国となっている。また、ニュージーランド王国を構成する最大の主体地域である。
国名ニュージーランドの国鳥キーウィ詳細は「ニュージーランドの地名(英語版)」を参照

正式名称は英語で New Zealand(ニュージーランド)、及びマオリ語で Aotearoa(アオテアロア)。略称は、NZ。

日本語の表記は、ニュージーランド。漢字による表記は新西蘭であり、略称は新。1980年代に当時の駐日大使が漢字表記を公募し、乳国とも表記するとした。ただし、21世紀現在はほとんど使われず、「NZ」の略記の方が多用されている。

New Zealand という国名は、直訳すると「新しいジーランド」となる。Zealandとは、オランダのゼーラントのこと。ニュージーランドに最初に到達したヨーロッパ人探検隊を率いたタスマンが、オランダ人であったことから、ラテン語でNova Zeelandia(新しいゼーランディア)と名付けられ、さらにそれをオランダ語訳し、Nieuw Zeeland と呼ばれるようになった。それが英語名のもとになった。

マオリ語のアオテアロアは、「白く長い雲(のたなびく地)」という意味(“ao”=「雲」、“tea”=「白」、“roa”=「長い」)[3]。元々は、北島のみを指す語であり、かつてはニュージーランド全体を指す語として英語の New Zealand を音訳した Niu Tireni が使われていた。

なお、近年在、マオリの中から国名の正式名称をアオテアロアにすべきだという声が出ており、2021年9月よりマオリ党が国名変更のために運動を開始した[4]

ニュージーランドに関連するものを指す際、「キーウィ」(kiwi)という愛称がよく使われる。ニュージーランドに生息する鳥キーウィから名をとり「ニュージーランドの」という形容詞として用いられることがある。口語のキーウィは名詞で「ニュージーランド人」を指すこともある。こうしたキーウィの呼び名にニュージーランドやニュージーランド国民への侮蔑の意味はなく、ニュージーランド側も認めている呼称である。また外国為替のディーラーの間では、ニュージーランド・ドルを“kiwi”または“kiwi dollar”とも呼ぶ。
歴史詳細は「ニュージーランドの歴史」を参照
ポリネシア人開拓者

9世紀ごろ、ポリネシア人開拓者が島々にやってきていて、彼らの子孫は マオリ人と呼ばれる。ニュージーランドの東に位置するチャタム諸島に行った子孫はモリオリ人と呼ばれている。モリオリ人がチャタム諸島に、ニュージーランドを経由して来たのが、他のポリネシア地域から直接渡ったのかは今でも議論がある一方、言語学的には証明がなされている[5]。マオリ人はニュージーランド北南島(特に北島)を「アオテアロア」(長い白い雲の土地)と呼んでいた。

最初の居住者はモアの狩猟者たちで、乱獲によりモアを15世紀までに絶滅させた。モアを餌としていたハルパゴルニスワシ(ハースト・イーグルとも。ワシの仲間で、羽を広げると3mもある史上最大の猛禽類)もモアと共に絶滅している。

民族 (iwi) の縄張り (rohe) に分かれていた。マオリは海産物、植物、動物、モア、ナンヨウネズミサツマイモ (kumara) を食べていた。
ヨーロッパの探検家クックエンデバー号のレプリカ

ヨーロッパ人として初めてこれらの島を「発見」したのは、オランダ人のアベル・タスマンで、1642年12月に Heemskerck 号と Zeehaen 号で、南島と北島の西海岸に投錨。マオリとの争いがあったために西岸をトンガへ北上し、北南島西岸のスケッチをした。彼は、最初、アントワープ出身の水夫ヤコブ・ル・メール (Jacob Le Maire) が1616年に「発見」したチリの南の土地だと思い、“Staaten Landt”(英:“Staten Island”)と地図に記した。

1643年ヘンドリック・ブラウエルによって改めて調査され、チリの南ではないと分かると、オランダの知識人はオランダのゼーラント州 (Zeeland) にちなみ、ラテン語で “Nova Zeelandia”(「新しい海の土地」という意味。英語の “New Sealand” にあたる)。と名付け、後にはオランダ語で “Nieuw Zeeland” と呼ばれた。

タスマンが訪れてから100年以上後、ジェームズ・クックエンデバー1769-1770年に訪れた時に、英語で “New Zealand” と呼んだ。クックが “Zeeland” を “Sea land” と直訳しなかったのは、オランダ語の発音の名残と、デンマークシェラン島(“Zealand”。コペンハーゲンがある島)にもちなんだためといわれる。クックはその後の第2次・第3次航海でもニュージーランドを訪れた。その時に北島・中島・南島と名付けたが、中島が今の南島に、その時の南島が今のスチュアート島になった。
経済改革と行政改革

戦後のニュージーランドはイギリスを主な貿易相手国とする農産物輸出国として発展し、世界に先駆け高福祉国家となる。しかし、1970年代にイギリスがECの一員としてヨーロッパ市場と結びつきが強まり、ニュージーランドは伝統的農産物市場を失い経済状況は悪化した。さらに、オイルショックが追い打ちをかけた。国民党政権は農業補助政策を維持する一方、鉱工業開発政策を開始するなど財政政策を行うもいずれも失敗し、財政状態はさらに悪化した。

1984年労働党デビッド・ロンギが政権を勝ち取ると、「国民の支持が得られなくともやるべきことは断行する」との固い決意のもと、政権主導の改革を押し進めた。ロンギ首相(当時)とダグラス財務大臣(当時)の改革は、ロジャーノミクスと呼ばれる経済改革につながる。主な事例としては、21の国営企業(電信電話、鉄道、航空、発電、国有林、金融など)を自国資本・外国資本を問わず民営化した。大学や国立研究所を法人化し実質無料であった学費を民間の大学と同様にした。各産業への保護と規制は撤廃され、外資のニュージーランド経済への資本参加を許可し、政府による許認可を極力なくし、官僚の数を半減した。規制撤廃、農業における補助金・優遇制度の撤廃、税制改革、競争原理の導入、行政部門の役割の見直しなど一連の改革は、一時的に倒産件数や失業率の悪化を招き、ロンギは首相を降ろされたが、結果として、ニュージーランド経済は成長軌道に乗り、福祉サービスも向上した。以降、これらの改革は労働党と国民党を問わず受け継がれ、現在のニュージーランドは極めて規制の少ない国となっている。

1990年代後半からとりわけ環境問題、自然保護政策に重点を置き、外資に売却した鉄道会社を再購入するなど地球温暖化対策に積極的な姿勢を示している。国内各地でエコツーリズムを開催するなど観光政策と自然保護政策の両立を目指している。映画産業の成長により広大な自然地形はロケーション撮影地として映画産業、海外メディアにも広く利用されニュージーランドの広報活動にも貢献している。
2020年代

2020年3月、ニュージーランド政府は新型コロナウイルス感染者が国内で確認されると、いち早く外国人の入国を禁止し、都市のロックダウンを含む国民の行動制限を含む厳しい措置を採った。ニュージーランドの経済を支える観光業などは大きな打撃を受けることとなり、2020年第2四半期(4-6月期)の国内総生産は前期比12.2%減とニュージーランド史上最大の減少幅を記録した[6]が爆発的な流行は抑え込むことに成功した[7]。同年10月17日に行われた総選挙では、与党であったニュージーランド労働党が国民からの支持を得て単独過半数を得て圧勝した[8]

2021年8月17日、新型コロナウイルスのデルタ株による市中感染が1件確認されたことを受け、全土で3日間のロックダウンを実施すると発表した[9]
政治詳細は「ニュージーランドの政治(英語版)」および「ニュージーランド政府(英語版)」を参照“蜂の巣”を意味する「ビーハイブ(英語版) (Beehive)」。首相や大臣などの執務塔。議事堂ではない。クリストファー・ラクソン首相。

ニュージーランドの政体は、ニュージーランド国王 (: King/Queen of New Zealand)[10] を国家元首とする立憲君主制である[11]


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