復元に際して、ほぼ垂直な鉄筋コンクリートの壁を塚の入り口から両側に建設し、そこに石壁を形成する白い珪岩などを固定するようにした。このような復元方式は特に考古学界で論争を呼んだ。批判的な考古学者は、この塚が建設された当時、このような角度で石壁を固定する技術は存在しなかったと主張している。白い珪岩は塚の前に敷き詰められ、広場になっていたという説もある。ノウスではそちらの説が採用され、復元に際して珪岩の石を塚の前に敷き詰めて広場を形成した。 ニューグレンジの塚は差し渡し76メートル、高さ12メートルで、面積は0.4ヘクタールである。塚の内部には塚の差し渡しの3分の1ほどの長い通路が真っ直ぐ伸びていて、その先端に十字型の部屋がある。通路自体は18メートル以上ある。墓室と思われる部屋の屋根は持送りアーチになっていて、最高点は床から6メートルの高さである。屋根は5000年の間そのまま保持され、防水性も保ったままだった。正面全景 ニューグレンジ周辺にはいくつも羨道墳があり、ノウスやドウスが有名である。それらはニューグレンジと同時代のもので、それらと37個の小さめの墳墓がブルー・ナ・ボーニャの遺跡群を形成している。 入り口にある巨大な石の平板には渦巻き模様と菱形紋
特徴
美術入り口前にあった彫刻を施された巨石
冬至のイベント入り口の上にルーフボックスがある。
年に1度冬至の朝、日の出の際の太陽光が約17メートルの長い通路に射し込み、部屋の床を照らす[1]。偶然このようになったとは考えにくい。M. J. O'Kelly は1967年12月21日、現代人としては初めてこのイベントを観測した[9]。
太陽光は、おそらくこのために考案されたと思われるルーフボックスと呼ばれる入り口のすぐ上の開口部から射し込む[10]。羨道墳でこのように太陽光を考慮して設計されたものは一般的ではなく、ルーフボックスを備えた数少ない羨道墳である(他に Carrowkeel Megalithic Cemetery の Cairn G がある)。ルーフボックスは入り口の上にあるため、やや斜め上方から日光が射し込むため、石室の床が照らされることになる。
現在は日の出から4分後に日光が射し込むようになっているが、地球の歳差に基づいて計算すると、5000年前には日の出と同時に日光が射し込んでいた[2]。ニューグレンジの正確さは、同様な現象が見られるドウスやスコットランド沖にあるオークニー諸島のメイズハウよりもずっと高度である。
今では、ニューグレンジを訪れた観光客にこのイベントを再現して見せるため、電灯を使っている。ツアーの最後に観光客が石室にいる状態で照明を切り、冬至の日の出方向から電灯で石室を照らす。このため、どの時期に訪れても冬至のイベントを疑似体験できる。また、ニューグレンジを訪れた人々にはくじが配布され、抽選で何人かが冬至当日のイベントに招待される。このくじの導入と電灯を使ったイベントの再現により、ニューグレンジは人気の観光地となっている。 考古学界では、ニューグレンジは墓だとする説が優勢である。最深部の十字型の部屋には石の鉢がいくつもあり、そこに火葬された人骨が置かれていた。発掘に際して5体分の人骨の一部が見つかっており、これが墳墓説の論拠となっている。しかし天文学、工学、周辺の遺跡群との位置関係や神話も考慮した解釈もいくつか提唱されている。これが建設された新石器時代には、太陽が信仰の中で重要な一部となっていたとよく言われている。また、ノウス、ドウス、さらには Lough Crew
目的と用途
アイルランド神話におけるニューグレンジ