ニューウェーブ_(漫画)
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このような動きは、上記の漫画誌の休刊と、新たに創刊された『ヤングマガジン』『ビッグコミックスピリッツ』などの各青年誌に作家たちが移ったことにより終息した[1][3]

漫画原作者・批評家の大塚英志は、一連の現象について「描き手も読み手もそして評論家たちも『方法』にのみ関心を寄せ、それによって『描かれるもの』にほとんど注意が払われないままに『ニューウェーブ』の作家たちは数多の亜流を産み出しながら、『商品としてのまんが』の網の目の中に相応の位置を見つけていった。『ニューウェーブ』とはそのようなものでしかなかった」と評している[6]。さらに大塚は24年組とニューウェーブとの比較において前者を「深層的」、後者を「表層的」なレベルでの変革と見做し、期待されたほどには漫画界を変革しえなかったと指摘している[6]
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出典検索?: "ニューウェーブ" 漫画 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2018年10月)
詳細は「エロ劇画誌#三流劇画ムーブメント」を参照

当初からエロ劇画の世界で自分の世界を築き上げる作者も多かった。もちろん、エロでなければ描けない世界というものもある。例えばダーティ松本、北哲矢、村祖俊一あがた有為中島史雄土屋慎吾羽中ルイ宮西計三、沢田竜二、三条友美石井隆小多魔若史などが代表的な作家であった。

石井隆らがエロ劇画でありながら高い評価を得るなど、エロ劇画に低俗である以外の評価が与えられる例が出始め、一種のエロ劇画ブームが見られるようになった。そのような状況の中から、1978年(昭和53年)に三流劇画ムーブメントが起こった。

これは、当時の三大エロ劇画誌と言われた『漫画大快楽』『劇画アリス』『漫画エロジェニカ』の編集者(亀和田武高取英ら)によって打ち上げられたもので、言わば学生運動のような革命思想をマンガ雑誌の世界に持ち込んだもので「劇画全共闘」とも呼ばれた。

彼らによると、当時の漫画雑誌界にははっきりとした階層があり、一流から三流までが区別される。一流は『ビッグコミック』を筆頭とする有名誌であり、それに続く一般漫画誌が二流で、三流がエロ劇画誌である。ところがここでの一流は内容においてあまりにも保守的で一切の変革を求めない。そして二流三流でデビューし、実力をつけた作家をつまみ食いにしている、と言い、このような状況を打破するためには三流をもって一流にしなければならない、といった主張がなされた。これらの主張や、『ガロ』の作家川崎ゆきおの起用、またSF、ロック、プロレスなどの評論コラムを掲載するなど、エロ劇画誌の固定観念からは離れた自由な誌面が作られていた。1978年には深夜番組11PM』で三流劇画の特集を組み、1979年には『別冊新評』で「三流劇画の世界」が出版された。

彼らのエロ劇画誌の本分を逸脱した編集方針により、吾妻ひでおいしかわじゅん諸星大二郎など彼らに共鳴するメジャー作家や、芸術性が高いばかりに一般誌には受け入れられないニューウェーブと呼ばれた若手作家たち(ひさうちみちお蛭子能収宮西計三平口広美奥平イラまついなつき高野文子、山田双葉(山田詠美)、さべあのまなど)に実験的な作品発表の場が提供され、これらによる名作が生まれた1979年頃までは「エロ劇画ルネッサンス」とも呼ばれる。こうした潮流は橋本治飯田耕一郎ら理論派の論客や『奇想天外』や『宝島』などのサブカルチャー雑誌を巻き込んで展開されたが、彼らの目指したところはいわゆる一般読者の支持を得られず、亀和田の『アリス』は1979年に休刊、1980年には『大快楽』の編集者は退社、『エロジェニカ』の出版社が倒産に至る。エロ劇画誌における評論や冒険的な編集姿勢は『劇画ハンター』『ラブラブ』『映画エロス』などの諸誌にも広がったが、高取の『エロジェニカ』からの撤退を期にほどなく収束していった。
脚注
注釈^ 宝島社『消えたマンガ雑誌』初出、2000年


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