フランス人の入植者によって、1604年にメイン州のセント・クロイ島に入植が試みられたが、1605年にはカナダのポート・ロワイアル
(英語版)へ移住している。ポート・ロワイアルはニューフランスで最初に植民に成功した都市となった(続いてケベックが2番目の都市となる)。イギリス人によるニューイングランドへの植民は、1606年4月10日にイングランド王ジェームズ1世の勅許を受けたバージニア会社に端を発する。バージニア会社は、イングランドのロンドンに拠点を置くロンドン会社とプリマスに拠点を置くプリマス会社からなり、ロンドン会社は東海岸の南部、プリマス会社は北部の開拓を与えられた。1607年、ロンドン会社によりイギリスで初めての恒久的植民地がバージニア州のジェームズタウンに建設され、その数ヶ月後にはプリマス会社によってメイン州にポパム植民地が建設された。ポパム植民地は一年で放棄された。ジェームズタウン建設の指導者であったロンドン会社のジョン・スミスは、1614年にメイン州からマサチューセッツ州の湾岸を探検し、このエリアをニューイングランドと名付けた。この時の記録はA Description of New Englandとして1616年に出版された。これ以降、イギリスでこの地域への入植者が募集された。1620年11月3日、プリマス会社は勅許によってニューイングランドのプリマス評議会(英語版)となり、ニューイングランドがこの地域の正式名称となった。同年11月21日、後にピルグリム・ファーザーズと呼ばれるイギリスの清教徒たちが乗ったメイフラワー号がマサチューセッツ州プロビンスタウンに到達した。その後、プリマスに上陸し、プリマス植民地を建設した。 プリマス植民地を端緒に、イギリスのピューリタンがマサチューセッツへ移住を始め、各植民地を設立していった。 1629年にはボストンを中心とするマサチューセッツ湾植民地が設立された。1636年にはロードアイランド植民地とコネチカット植民地が設立された。1637年には、ニューヘイブン植民地が設立され、1662年にコネチカット植民地に統合された。また1637年に、北のニューフランス、南のニューネーデルラントに対抗するため「ニューイングランド連合」が結成されたが、1680年代初頭に解消された。1686年には、オランダ領であったニューヨーク植民地、ウエストジャージー植民地およびイーストジャージー植民地を含むニューイングランド王領 ヨーロッパで宗教的に迫害されたグループによって創設されたという背景から、ジェームズタウンなどの東海岸南部の植民地はヨーロッパの投資家のための経済的利益を動機に建設されたのに対し、プリマスなどの東海岸北部では宗教的自由や理想を動機に建設されたという違いが、ニューイングランドの文化を特徴付けている。
植民地時代
都市の発達