ニュルンベルク法
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一方、内務省次官ヴィルヘルム・シュトゥッカートや内務省人種課長ベルンハルト・レーゼナー(ドイツ語版)は混血はすべて「ユダヤ人」の定義から除外して「完全ユダヤ人」(両親ともにユダヤ人)のみをユダヤ人にしようと提案したが、限定しすぎているとしてヒトラーに却下された[13]
ニュルンベルク法制定

1935年9月10日からニュルンベルクナチ党の党大会が開催された。党大会中の9月13日に突然ヒトラーは二日以内にユダヤ人から公民権を奪う法律を起草するよう内務省に命じた[11]。内務大臣フリック、ナチ党人種政策局長グロース、ナチ党保健局長ヴァーグナー、内務省次官ハンス・プフントナー(ドイツ語版)、内務省次官ヴィルヘルム・シュトゥッカート、内務省人種課長レーゼナー、内務省国法部長フランツ・メディクス(ドイツ語版)などによって起草が行われた。4つの候補となる法案が作成され、ヒトラーに提出された[11][13][14]。ヒトラーはそのうち最も厳しくない物を選び、若干修正を加えた後、9月15日にニュルンベルクに緊急に招集した国会において可決させた[4]。この時に可決された法律の名前は「帝国市民法」(de:Reichsburgergesetz)と「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」(Gesetz zum Schutze des deutschen Blutes und der deutschen Ehre)という。この二つをあわせて「ニュルンベルク法」と総称された[1][2][3][4]
「帝国市民法」

「帝国市民法」は、「国籍所有者(Staatsangehorige)」と「帝国市民(Reichsburger)」を明確に区別し、「帝国市民」は「ドイツ人あるいはこれと同種の血を持つ国籍所有者だけが成れる」と定め、「帝国市民」だけが選挙権や公務就任権など政治的権利を持つと定めた[2][4]。さらに「帝国市民」はドイツ民族とドイツ国家に忠誠を誓う意志を持たねばならず、それはそれにふさわしい態度をとることでのみ証明されるとした[3]

「帝国市民」の資格を持たない単なるドイツ国籍所有者(ユダヤ系ドイツ人など)は政治的権利は一切ないとされた[4]。すなわちユダヤ人は二等市民に落とされたのである[1][3]。「職業官吏再建法」の時の非アーリア人種(ユダヤ人)の公務からの排除規定には例外規定があった。非アーリア人種であっても「第一次世界大戦開戦当時にすでに公務員だった者」、「第一次世界大戦に従軍した経験があるか、父や子が大戦で戦死している者」は例外として追放されないというものである[14]。しかし「帝国市民法」によってこの例外規定は抹殺されてしまった[4]
「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」

「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」は、ユダヤ人と「ドイツ人ないし同種の血を持つ国籍所有者」の婚姻、婚姻外性交渉を禁止したものであった[3][4]。また45歳以下の「ドイツ人あるいはその同種の血を持つ女性国籍所有者」がユダヤ人家庭で雇われることやユダヤ人がドイツ国旗を掲げる事もこの法律で禁止された[15][16]
「帝国市民法第一次施行令」のユダヤ人規定

「帝国市民法」も「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」もユダヤ人についてのしっかりとした定義はしていなかった[17]。そのため、再びユダヤ人の定義が問題となった。これは1935年11月24日に「帝国市民法第一次施行令」によって定められた[3][4]。前述したように先の「アーリア条項」のユダヤ人の範囲は広すぎるとされていたので、ユダヤ人の範囲は「アーリア条項」より縮小されている。詳しくは下記のとおりである。

4人の祖父母のうち3人以上がユダヤ教共同体に所属している場合は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」[3][16][18]

4人の祖父母のうち2人がユダヤ教共同体に所属している場合は次のように分類する[3][16][18]

ニュルンベルク法公布日時点・以降に本人がユダヤ教共同体に所属している者は、「完全ユダヤ人」

ニュルンベルク法公布日時点・以降にユダヤ人と結婚している者は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」

ニュルンベルク法公布日以降に結ばれたドイツ人とユダヤ人の婚姻で生まれた者は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」

1936年7月31日以降にドイツ人とユダヤ人の婚外交渉によって生まれた者は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」

上記のいずれにも該当しない者は、「第1級混血」(ドイツ人)


4人の祖父母のうち1人がユダヤ教共同体に所属している者は、「第2級混血」(ドイツ人)[3][18][19]

この分類で「完全ユダヤ人」とされた者は1937年の内務省調査によると77万5000人である。そのうちユダヤ教徒ユダヤ人は47万5000人、非ユダヤ教徒ユダヤ人は30万人であった。「第1級混血」と「第2級混血」の合計は75万人であった[10]。混血は少なくとも法律上はドイツ人扱いである。ヒトラーは混血については数世代かけて同化させてしまう事を考えていたという[4]。第一級ユダヤ混血についてはユダヤ人にせよ、という意見がその後もナチ党内に根強くあった。混血は社会的な差別に晒された。しかしヒトラー自身は1944年秋まではユダヤ人の範囲の拡張には慎重だった[20]。1944年10月には一級混血の男性にはトート機関の強制労働収容所で強制労働が義務付けられた。さらに11月には全ての混血は公職から追われている[21]
ニュルンベルク法への反応

ユダヤ系ドイツ人の反応はさまざまだったが、一般にはほっとした人が多かったという。ヒトラーはこの法律がユダヤ人の権利剥奪の最後であると明言したし、この法律によって剥奪された公民権は、ユダヤ人にとっては事実上すでに失われていた権利であって、それが改めて剥奪宣言されたにすぎなかったからである。また前述したように「帝国市民法第一次施行令」で定められた「ユダヤ人」の範囲は先の「アーリア条項」よりかなり狭められたため、むしろユダヤ人迫害の規模を縮小するための緩和政策と受け止められた[22]

米国紙『ロサンゼルス・タイムズ』も「ニュルンベルク法はユダヤ人にとって特に新しい問題ではない。なぜなら、一般的に言って、ドイツでは誰も公民権を保証されていないからである」と書き、ヒトラー支配下のドイツでは公民権があってもなくても大差がない事を皮肉っている[19]

アメリカ政府は何の公式声明も出さなかった。キリスト教会は人種的反ユダヤ主義やこの法律を批判したが、具体的な措置は何もとらなかった[23][24]
ニュルンベルク法の影響


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