ニヌルタ
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アッシリア帝国におけるニヌルタ信仰の中心であったカルフ市の1853年の復元図。イギリス人考古学者オースティン・ヘンリー・レヤードによる1840年代の発掘成果に基づいて、当時の景観を復元したもの。

カルフのニヌルタ神殿の壁は、アンズー鳥を屠るニヌルタなどの浮彫彫刻で装飾されていた。アッシュル・ナツィルパル2世の息子、シャルマネセル3世(在位:前859年-前824年)は、カルフでニヌルタのジッグラトを完成させ、自身の石製浮彫をニヌルタ神に捧げた[6]。この浮彫でシャルマネセル3世は自身の軍事的偉業を誇り[6]、彼の勝利の全てはニヌルタ神に帰すものであり、その助けなくしては何事も成し得なかったと宣言している[6]アダド・ニラリ3世(在位:前811年-前783年)の時、アッシュル市のアッシュル神殿に新たな寄進物が納められ、それらはアッシュル神とニヌルタ神の印章で封印された[6]

アッシリアの首都がカルフから他へ遷された後、パンテオンにおけるニヌルタの重要性は低下し始めた[6]サルゴン2世はニヌルタ以上に書記の神ナブー神を好んだ[6]。にもかかわらず、ニヌルタはなお重要な神の1柱であり続けた[6]。アッシリアの王たちがカルフを去った後でも、旧都の住民たちはニヌルタを崇拝し続け[6]、この神を「カルフに住まうニヌルタ」と呼んだ[6]。カルフで発見された法的文書には、宣誓違反者は「2ミナの銀と1ミナの金をカルフに住まうニヌルタの膝の上に置く」ことを要求されたと記されている[6]。この条文の確実な最後の例はアッシリア王エサルハドン(在位:前681年-前669年)の治世最後の年である前669年のものである[6]。カルフのニヌルタ神殿はアッシリア帝国の終焉まで繁栄しており[6]、困窮した人々を雇用していた[6]。宗教的儀式を主催するのはシャング(?angu)と呼ばれる神官兼歌謡長(priest and a chief singer[訳語疑問点])であり、料理人、執事、荷運夫(porter)が彼を補佐した[6]。前7世紀後半になるとニヌルタ神殿のスタッフはボルシッパのナブー神殿のスタッフと共に法的文書には見えなくなる[6]。この2つの神殿はケプ(q?pu)と呼ばれる官吏を共有していた[6]
図像学カルフの北西宮殿で発見されたアッシリアの有翼太陽円盤(英語版)内に男性像がおかれたエンブレム。幾人かの著者はこれはニヌルタであるかもしれないと推測しているが、大部分の学者は根拠のないものとして斥けている。

カッシート時代(前1600年頃-前1155年頃)のクドゥル(英語版)(境界石)には鋤にニンギルスのシンボルであるという説明が付けられている[3]。この鋤は新アッシリアの美術作品にも見られ、恐らくはニヌルタのシンボルである[3]。木に止まった鳥(A perched bird[訳語疑問点])も新アッシリア時代にニヌルタのシンボルとして使用された[11]。ある推測的仮説では前9世紀の有翼円盤は元来ニヌルタを象徴していたが[8]、後にアッシュルと太陽神シャマシュを象徴するものとなったとされる[8]。この説は初期の表現においてニヌルタが有翼円盤の上におり鳥の羽を持っているように見えるものがあることに立脚している[8]。もっとも、大部分の学者はこの説は根拠がないとして斥けている[8]。前8世紀と前7世紀の天文学者たちはニヌルタ(またはパビルサグ)をいて座と同定していた[12]。また、シリウスと同定される場合もあった[12]。シリウスはアッカド語では「?uk?du(矢)」として知られていた[12]。そしておおいぬ座(シリウスはこの星座の中で最も目立つ星である)はqa?tu(弓)として知られていた。これはニヌルタが携えていると考えられていた弓矢の名に由来する[12]。バビロニア時代[訳語疑問点]にはニヌルタは土星と関連付けられた[13]
家族ギルス(英語版)で発見された石灰岩製の女神胸像。恐らくはニヌルタの配偶者バウ(英語版)であり、角帽を被っている。

ニヌルタは、エンリル神の息子であると考えられていた[3]。『ルガル・エ(英語版)』においては、ニヌルタの母は女神ニンフルサグ(その名は彼によってニンフルサグと改名された)とされているが[14] 、『Angim dimma』においては彼の母親は女神ニンリルである[15]。「ニヌルタ(Ninurta)」という名前で言及される時、彼の妻は通常は女神グラ(英語版)であるが[3]、「ニンギルス(Nin?irsu)」としては彼の妻は女神バウ(英語版)である[3]。グラは治癒と薬の女神であり[16]、時にパビルサグ神の妻とされたり、小植物の神アブー(英語版)の妻とされたりもしていた[16]。バウ女神は「ほとんど専らラガシュにおいてのみ」信仰されていた女神で[17]、時にザババ神の妻ともされていた[17]。彼女とニンギルスの間には2人の息子(イグ・アリマ〈Ig-alima〉とシュル・シャガナ〈?ul-?agan〉という二柱の神)がいると考えられていた[17]。また、バウには7人の娘がいたが、ニンギルスが彼女たちの父親であるという記述はない[17]。エンリル神の息子であるため、ニヌルタの兄弟にはナンナネルガル、ニンアズ(英語版)[18][19]、エンビルル(英語版)[20]がおり、またしばしばイナンナも兄妹とされた[21][22]
神話
ルガル・エ

メソポタミアの神々の中で、ニヌルタは恐らく女神イナンナ(イシュタル)に次いで多くの神話に登場する[23]。シュメルの詩『ルガル・エ(Lugal-e)』(『ニヌルタの偉業〈Ninurta's Exploits〉』とも)の中では、アサグという名の病を引き起こし川を毒で冒す悪魔がいた[14]が、ニヌルタは石の戦士たちに守られたアサグと対決し[8][6][24]、アサグとその軍隊を打ち取った[8][6][24]


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