ニッポン放送は1960年代 前半、テレビに押され気味だったラジオの媒体価値を高めるべく、ラジオがより身近な存在である事をアピール。局舎以外に公開スタジオを設置する事となり、これをサテライトスタジオ(通称・サテスタ)と呼んだ。このサテスタ作戦は成功し、文化放送は追従したが、TBSラジオは街頭中継に力を入れた(=ラジオカーの増強)ため、追従はしなかった。 4年毎に車両更新され、ラジオカーの最大出力は50W。中継は、霞が関ビルディング・筑波山・双子山に設置された基地局に送られ、そこから専用回線を使って本社に送られる。2018年時点の車両には、車体正面と側面にニッポン放送のロゴとフジサンケイグループの目ん玉マークが描かれている。また、FMカーの側面にはワイドFMのコールサインである「FM93」のロゴが描かれている。ロゴナンバープレートは希望番号制度導入以降、全車AM放送周波数の「12-42」にて登録されている。 1959年(昭和34年)12月12日に交通情報番組「ハイウエーニュース」を放送開始し、1961年3月27日に主要13交差点の混雑状況を報じる「交通ニュース」(1日4回放送)も放送開始[140][141]。「交通ニュース」ではアメリカのラジオ局にならい「ニッポン放送ヘリ情報」と題してヘリコプターから交通情報や報道を行っていたが、日本道路交通情報センターが設置されたためヘリコプターを廃止。その後1970年(昭和45年)3月2日に街角からのリポート・報道中継を目的として、中波民放ラジオ局としては初めてラジオカーを導入。その後、各局が追随した。当初は2台(セダン型の車両を使用 愛称:ニッポン1号・ニッポン2号 塗装は、緑と白の塗り分け)で、JAFのロードサービス隊員が乗車していた。 ラジオカーの電波が受信基地に届かない場合に、ラジオカーの電波を受信基地まで2段中継するために使われる。
過去に設置されたニッポン放送のサテライトスタジオ所在地
新宿(小田急百貨店2階。現在は三菱UFJ銀行の一部 1962年 - 不明)
新宿(伊勢丹内)
雷門サテライトスタジオ(浅草 常盤堂雷おこし本舗本店1階 現在は店舗の一部)
秋葉原(シントクエコー[注釈 34])1階。跡地は建物の守衛室に流用されている 1970年 以降 - 1993年 以前)
池袋(西武百貨店2階。現在は百貨店のディスプレイ)
銀座(三愛ドリームセンター内)
西銀座サテライトスタジオ(西銀座デパート1階 現在は隣接していた宝くじチャンスセンターが増床。サテライトスタジオのさきがけ)
有楽町Radio Town(有楽町 読売会館 2階南側(ビックカメラ有楽町店内) 現在はビックカメラ有楽町店の一部 2001年6月 - 2004年3月)
中継車
歴史旧ラジオカー(車種:トヨタ・ランドクルーザー80)
ラジオカー
1号車 トヨタ・アルファード[142]
2号車 日産・セレナ[143][144]
3号車 スズキ・エスクード[142]
FMカー