バンドの代表作としてはジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター・ボージャングルス」のカバーバージョンが挙げられる。アルバムとしてはメイベル・カーター、アール・スクラッグス、ロイ・エイカフ、ドク・ワトソン、マール・トラヴィス(英語版)、ジミー・マーティン(英語版)と言った伝統的なカントリー・アーティストをフィーチャーした1972年の『永遠の絆』が挙げられる。同じコンセプトの次のアルバム『永遠の絆 Vol.2(英語版)』が1989年に発売され、ゴールドディスクに認定され、2つのグラミーを勝ち取り、カントリーミュージック協会賞の最優秀アルバムを受賞した。2002年には続編として『永遠の絆 Vol.3(英語版)』を発表した。 ニッティー・グリッティー・ダート・バンドは1966年頃カリフォルニア州ロング・ビーチでニュー・コースト・トゥーとして演奏していたシンガーでギターとウォッシュボードを担当するジェフ・ハンナと、シンガー・ソングライターでギターリストでもあるブルース・カンケルの二人によってジャグ・バンドとして結成された[2]。バンドのウエブサイトの言葉を借りれば、「生活のために働かずにすむ方法を見つける」ことを試みて、ハンナとカンケルはロングビーチのマッケイブのギターショップでの非公式なジャムセッションに参加していた。ここで二人はギタリスト兼ウォッシュタブ・ベース奏者のラルフ・バー、ギタリスト兼クラリネット奏者のレス・トンプソン、ハーモニカとジャグ
来歴
1966年?1969年: ジャグ・バンドとしての結成からカントリー・ロックへの転換期
ブラウンはシンガー=ソングライターとしてのソロ活動に集中するために離脱する前の数か月だけバンドに参加していた[2]。ブラウンに替わってバンジョー、フィドル、マンドリン、スティール・ギター担当のジョン・マッキューアンが加わった。マッキューアンの兄のバンドのマネージャーを務め、1967年にグループのデビューアルバム『ニッティー・グリッティー・ダート・バンド(英語版)』を発売することになるリバティ・レコード(英語版)との契約を手助けした[2]。バンド初のシングル Buy for Me the Rain はトップ40入りの成功を収め[2]、『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン(英語版)』への出演にこぎつけ、ジャック・ベニーやドアーズといった異種のアーティストとのコンサートに出演した。
セカンドアルバム『リコシェ(英語版)』が同年後半に発売されたが、ファーストアルバムほどは成功しなかった[2]。カンケルはバンドのエレクトリック化と、より多くのオリジナル作品を使うことを求めた。カンケルは WordSalad and of the People 結成のためにバンドを去った。後任には多楽器奏者のクリス・ダーロウ(英語版)が加入した[2]。
1968年までに、バンドは電気楽器を採用し、ドラムスを追加した。