ニジェール
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国民総所得は161億ドル[32]、(1人当たり610ドル[33]、2022年)で、後発開発途上国の一つでもある。周辺の8か国とともに西アフリカ諸国中央銀行中央銀行としており、通貨CFAフランである。
農牧業

第1次産業人口は56.9 %(2005年)を占める[34]が、農業は自給農業が中心で、南部に限られる。降雨量は少ないが灌漑も発達しておらず、水源も乏しいため、ほとんどは天水農業である。そのため、降雨量に収量は大きく左右されるがサヘル地域は雨量が不安定であり降水量の年較差が激しいため、しばしば旱魃が起こる。サハラ砂漠の拡大(砂漠化)を食い止めるための緑化が、国外からの支援を得て試みられている[35]

ニジェールの主な作物は、雨量の多いサヘル南部ではモロコシ、より乾燥したサヘル中部ではトウジンビエ(パールミレット)が栽培される[36]。1980年代以降、特にモロコシにおいて単収の減少が目立ち、1980年の1ヘクタール当たり479sから、2001年には1ヘクタール当たり255sと、ほぼ半減している。これは人口増加により旧来の土地休閑が不可能になり、土地が酷使されるようになったためである。これに対し総生産量は増加しているが、これは耕作面積が3倍近く増加しているため、単収の減少を耕地の増加で補っているためである。トウジンビエにおいては旧来の土地休閑が可能であったため、単収減少は起こっていない[37]。モロコシとトウジンビエは平年は自給が可能であるが、旱魃が起こった場合供給が不足する。このほか、南部のニジェール川流域においての栽培が行われており、特にティラベリ州において集約的に栽培されるが、国内需要が大きく伸びているため自給ができず、多くを輸入に頼る状況となっている[38]

輸出用作物としては植民地時代に落花生の栽培が奨励され、1960年代初期には総輸出額の80 %が落花生およびピーナッツオイルによって占められていた[39]が、1970年代には既に割合はかなり小さくなっており、それ以降は輸出額はごくわずかなものにとどまっている[40]。農作物のなかで輸出額が多いのはタマネギササゲであるが、いずれも総輸出額に占める割合は非常に少ない[40]。ササゲの輸出の大半はナイジェリア向けであり[41]、タマネギの輸出先も近隣諸国がほとんどである[42]

牧畜は農業よりは盛んであり、ウシヒツジヤギラクダが主に飼育される。南部のフラニ人はウシを主に飼育し、北部のトゥアレグ人はラクダやヤギを中心に飼育を行っている[36]ほか、各地の農耕民も牧畜を行っている。家畜輸出は農業輸出よりも大きく、ウシ・ヒツジ・ヤギが主に輸出される[40]。内水漁業の規模は2005年で年間漁獲高5万t前後であり、そのうちの約4万5000トン、90%近くをチャド湖での漁獲が占めており、ニジェール川が3700トン前後、他の水域での漁獲はわずかなものにとどまっている[43]。「ニジェールにおける季節的な移住(英語版)」も参照
鉱業アーリット・ウラン鉱山

独立時は上記のわずかな農牧業に頼っていたが、1971年に北部のアーリットでウラン鉱の生産が開始され[44]、以後ウランの輸出が経済の柱となった。ウランは確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇っている。ニジェールのウラン鉱山はアーリット鉱山とアクータ鉱山の2つの鉱山からなり、アーリット鉱山はフランス原子力庁(のちにアレヴァ社)とニジェール政府が、アクータ鉱山はニジェール政府とフランス原子力庁、日本の海外ウラン資源開発社、スペイン企業がそれぞれ出資している[44]

ウラン関連産業は全雇用の約20%を占める。2014年にはウランが総輸出額の45.6%を占め、ニジェール最大の輸出品となっている[45]が、あまりにウランの経済に占める割合が高いため、ウランの市場価格の上下がそのまま経済に直撃する構造となっており、経済成長率はウラン価格の動静に左右されている。

一方、東部では油田が発見され、2014年には石油製品が総輸出額の25.9 %を占めて第2位の輸出品となった[45]。またブルキナファソの国境に近いリプタコ地方においてはが産出され、これも輸出される[46]
その他

ニジェールは、1997年の旱魃で国民の4分の1が飢餓の危機に陥った。さらにウラン価格の低下、度重なる政情不安による海外援助の途絶により、1999年末には国家経済が事実上の破産状態に陥った。しかし、2000年12月に国際通貨基金(IMF)などは貧困削減対策としてニジェール政府が背負う8億9,000万ドル債務免除を発表し、7,600万ドルの融資を決定するなど明るい兆しも見えてきている。
交通詳細は「ニジェールの交通(英語版)」を参照

ニジェールの交通の主力は道路交通であるが、それほど整備が進んでいるわけではない。最も重要な道路は首都のニアメから国土の南端ガヤへ向かう道路で、ここからベナンに入りベナン中部のパラクーから鉄道でコトヌー港へと向かうのがニジェールの主な輸出ルートである。またマリ国境のからニアメ、ドッソ、マラディ、ザンデール、ディファといった主要都市を通ってチャド湖沿岸のンギグミまで、ニジェールの人口稠密地帯を結ぶ全線舗装の[46]幹線道路が走っている[47]。このほか、ザンデールからアガデス・アーリットを通ってアルジェリア国境のアッサマッカへと向かうサハラ縦断道路が存在するが、舗装はザンデールからアーリット間のみにとどまっている[46]。ニジェール川には、ニアメ市のケネディ橋やガヤ市の橋など、数本の橋が架けられている。

ニジェールには、ニアメのディオリ・アマニ国際空港をはじめとしていくつかの空港が存在するが、国際便がニアメに発着するのみで1980年代以降国内線はわずかなチャーター便を除きほとんど運行していない。このため、国内輸送において航空輸送はほとんど意味を持っていない[48]

ニジェール国内に鉄道は存在しない。植民地時代にはコートジボワールアビジャンからオートボルタの首都ワガドゥグーを通ってニアメまでの鉄道が計画されていたものの、1954年にワガドゥグーに到達したところで工事は中断し、やがて独立とともに計画は立ち消えとなってアビジャン・ニジェール鉄道の名にその痕跡を残すのみとなっている。これに代わってダオメー(現ベナン)経由の鉄道計画が浮上し、1959年にはベナン・ニジェール鉄道輸送共同体が設立されてダオメー国内の鉄道にニジェールが参画することとなった[49]。1970年代にはパラクーからニアメへの鉄道延伸が決定されたが、資金不足で工事は中止された[49]
国民ニジェールの子供たち詳細は「ニジェールの人口統計(英語版、フランス語版)」を参照

2016年の人口は2067万2987人。国連による統計では2015年?2020年の人口増加率は3.81と世界3位[50]世界銀行によると、ニジェールの出生率は2016年には7.2となり世界一となっていることから人口爆発を引き起こし、2020年に2332万人、2050年に6120万人、2070年に1億0122万人、2100年には1億2403万人にまで増加すると予測されている。
民族

ニジェールの最大民族はハウサ族であり、2001年には人口の55.4%を占めていた[34]。ハウサ人は主に南部のナイジェリア国境沿いに居住し、ザンデールやマラディなどが居住域の主な都市である。次の大きな民族グループは南西部に居住するジェルマ(英語版)-ソンガイ族であり、人口の21%(2001年)を占めている[34]。ジェルマ・ソンガイは首都ニアメの多数派民族であり、ニジェール川沿いを主な居住域としている。これに次ぐのは北部の砂漠地方を中心に居住する遊牧民トゥアレグ族であり、全人口の9.3 %(2001年)を占める[34]


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