1735年に勃発した露土戦争はロシアが黒海征服への第一歩としてアゾフとクリミア半島への野心を露わにした結果である[1]。
ハプスブルク帝国は1737年にロシア側で参戦したが敗北し、ベオグラード条約でセルビア北部、ボスニア北部、オルテニアを放棄する結果となった。その代わり、オスマン帝国のスルタンはハプスブルク家の神聖ローマ皇帝を帝国内のキリスト教徒の保護者と認めた。ミッレト制も参照
オーストリアが脱落したためオスマン帝国はロシア軍のコンスタンティノープルへの進軍を食い止めることに成功し、ロシアは講和を飲んだ。
ニシュ条約では戦争勃発の原因であったアゾフとクリミアをめぐる争いをオスマン有利で決着した。ロシアはアゾフ港の建設を許可されたが、アゾフの要塞化と黒海艦隊の創設は禁止された。またロシアはクリミアとモルダヴィアへの請求を放棄した。
脚注^ a b Treaty of Nis (1739), Alexander Mikaberidze, Conflict and Conquest in the Islamic World: A Historical Encyclopedia, Vol. I, ed. Alexander Mikaberidze, (ABC-CLIO, 2011), 647.