2017年1月17日、メルセデスのアンバサダーに就任することが発表された[20]。同年9月15日には、F1復帰を目指すロバート・クビサの共同マネージャーに就任[21]。その後、このマネージメントから離脱[22]し、若手ドライバー支援のためにカートアカデミーを立ち上げた[23]。
また、RTLテレビジョン[24]、2018年からはSKY SPORTS
の解説者としても出演[25]しながら、F1評論家としても寄稿活動を行っており、同郷のセバスチャン・ベッテルに対して辛口の批評を行うこともある[26]。2021年に旗揚げされるエクストリームEで「ロズベルグ・Xレーシング」をチーム代表として立ち上げて参戦。初年度となる2021年シーズンはヨハン・クリストファーソン/モリー・テイラー組が全5戦中3戦を勝ち取り、シリーズチャンピオンとなった[27]。
エピソード
両親の方針で国際性の高いモンテカルロでの教育を受けた[28]ことで、ドイツ語・英語・イタリア語・フランス語・スペイン語に堪能だが、父親の母国語であるフィンランド語は殆ど話せない[29]。
ニコがカートに参戦し始めていた7歳の頃に父のケケが受けたインタビューでも「ニコはフィンランド国籍にしないの?」と問われた際、ケケは「私はフィンランドを思い出して恋しくなることもあるけど、家族はフィンランドでは生きていけないよ(笑)。妻はドイツ出身でフィンランドの冬に耐えられない。ニコはフィンランド語がなにも分からない。モンテカルロのアメリカンスクールに通ってドイツ語と英語の教育を受けているからね。」と回答している[28]。
子供の頃のヒーローは、父が長年マネージメントを担当していたミカ・ハッキネンで「ミカは僕の本当のヒーローだった」と語っている[30]。
ドイツ・ブンデスリーガのFCバイエルン・ミュンヘンのビッグ・ファンであり、自身のSNSでバイエルンに関連する画像を投稿することがある。
ハンサムな風貌が俳優のレオナルド・ディカプリオに例えられる。元チームメイトだった中嶋は、ディカプリオ主演映画『タイタニック』を観て「気持ち悪いくらい印象がそっくりですね!」と語っている[31]。仲間からは「ブリトニー」と呼ばれていたが、2011年に髪を短くして無精髭を伸ばしイメージチェンジした[32]。
なくなって欲しいグランプリを聞かれ、「富士スピードウェイでの日本GPだが、トヨタのサーキットだから言えない(当時ウィリアムズ・トヨタに在籍中)。」と答えた[33]。
F1デビューレースでファステストラップを獲得したことも含めバーレーングランプリとは相性が良く、11回参戦して1度もリタイアが無い。
2014年より導入されたパーソナルナンバー制度において、「6」を選択した。これは父のケケが1982年にワールドチャンピオンを獲得した時のナンバーなのが理由である。
ルイス・ハミルトンは少年時代、マクラーレンのカートチームでコンビを組んでいた頃からの親友。「いつかF1でチームメイトになれたら、どんなにクールだろうね」と語り合っていた夢が、2013年にメルセデスで実現した[34]。2014年以降は上記のチャンピオン争いなどもあって関係が険悪になっていたが、自身がチャンピオンを獲得した時には、ハミルトンはカート時代の写真をSNSに投稿して祝福しており、また引退することも公式発表する前に彼には伝えていたと語っている[35]。また本人らの直接対決ではないが、引退後にロズベルグがチームを立ち上げたエクストリームEにおいては、ハミルトンも「X44」というチームを立ち上げている。