2005年にシングルシーターレースにステップアップ、ドイツ・フォーミュラ・BMWのジョセフ・カウフマン・レーシングから参戦しシリーズ・チャンピオンを獲得。しかし、このチャンピオンはセバスチャン・ブエミがブレーキテストをしたとしてシーズン終了後に裁定によりペナルティを受けた為、獲得したチャンピオンであった[5]。 2006年、ドイツF3
フォーミュラ3
2008年もユーロ・F3のARTグランプリから参戦しチャンピオンに輝いた。
A1グランプリウィリアムズをテスト走行するヒュルケンベルグ(2008年スペイングランプリ)
2006-2007A1グランプリにA1チーム・ドイツからクリスチャン・ベトリス
と共に参戦し、ヒュルケンベルグは20レース中9勝をあげドイツチームに128ポイントを獲得し2位との差35ポイントをつけドイツチームに優勝をもたらした[5]。ヒュルケンベルグはミハエル・シューマッハなどのマネージャであるウィリー・ウェーバーのマネージメントをこのころから受けることになった。これは2006年末にA1のドイツチームを運営していたウェーバーが初戦のドライバーとしてオファーしたのが切っ掛けだった。
GP2ARTグランプリからGP2に出走する。(2009年モナコグランプリ)
2009年はARTグランプリからGP2の本シリーズから出場する予定だったが急遽、アジアシリーズに第3戦目、第4戦目の2戦4レースのみ出場し2回のポールポジション、1回の優勝をした。
GP2本シリーズでも活躍を見せ、母国レースとなったニュルブルクリンクではネルソン・ピケJr.以来GP2史上2人目となるフルポイントレース(第1レースでポールポジション、ファステストラップ、優勝を独占し、リバースグリッドでのスタートとなる第2レースでも優勝とファステストラップを獲得。GP2では20ポイント獲得できる)を達成した。そして第9戦モンツァでGP2チャンピオンを獲得した。最終戦を残してのチャンピオン獲得はGP2史上初めてとなる。
F1
ウィリアムズウィリアムズ・FW32をドライブするヒュルケンベルグ。(2010年カナダグランプリ)
マネージャーのウィリー・ウェーバーはF1でのテストドライブを行うためにルノーF1のフラビオ・ブリアトーレに接触していたが、2007年12月4日にヘレスでウィリアムズからテストする機会を得て[8]、2007年12月13日にウィリアムズのテストドライバーとなることが発表された[9]。これにより、2008年及び2009年はF3やGP2と平行してウィリアムズのテストドライバーを務めた。
2010年より同チームのレギュラードライバーに昇格[10]。チームメイトは大ベテランのルーベンス・バリチェロ。第3戦マレーシアGPでは10位入賞を果たし、F1で初ポイントを獲得した。その後はしばらく入賞がなかったが、第10戦イギリスGPで10位入賞を果たすと、第12戦ハンガリーGPでは自己ベストの6位でフィニッシュした。さらに、第18戦ブラジルGPにて予選で雨が降り出す前に好タイムを記録する幸運により自身初のポールポジションを獲得した。所属するウィリアムズにとっては2005年ヨーロッパGP以来5年ぶり、ルーキードライバーのPP獲得は2007年のルイス・ハミルトン以来3年振りの快挙である。ただし、決勝は8位入賞で終わった。シーズン後半は時折バリチェロに肉薄するパフォーマンスを見せることもあったが、8月下旬ごろから、2010年シーズンいっぱいでウィリアムズから放出されるのではないか、という報道がなされるようになった[11][12][13]。その背景としてウィリアムズは2010年末で複数の主要スポンサーの撤退が重なり2011年シーズンの資金が不足していた[14]。