ニコ・ヒュルケンベルグ
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2004年までカートに参戦した[5]
フォーミュラ・BMW

2005年にシングルシーターレースにステップアップ、ドイツ・フォーミュラ・BMWのジョセフ・カウフマン・レーシングから参戦しシリーズ・チャンピオンを獲得。しかし、このチャンピオンはセバスチャン・ブエミがブレーキテストをしたとしてシーズン終了後に裁定によりペナルティを受けた為、獲得したチャンピオンであった[5]
フォーミュラ3

2006年、ドイツF3にジョセフ・カウフマン・レーシングから参戦して5位(1勝)で終えて、2007年からユーロF3ASM・フォーミュラ3(ASM Formule 3 ※現在のART Grand Prix)から参戦し第3戦ノリスリンクではグリッド18番目から優勝し、第6戦ザントフォールトでは雨のレース、第7戦ニュルブルクリンクで優勝しシーズン3位に終えた[6]。また同年のマスターズF3で優勝をしている[7]

2008年もユーロ・F3のARTグランプリから参戦しチャンピオンに輝いた。
A1グランプリウィリアムズをテスト走行するヒュルケンベルグ(2008年スペイングランプリ

2006-2007A1グランプリにA1チーム・ドイツからクリスチャン・ベトリスと共に参戦し、ヒュルケンベルグは20レース中9勝をあげドイツチームに128ポイントを獲得し2位との差35ポイントをつけドイツチームに優勝をもたらした[5]

ヒュルケンベルグはミハエル・シューマッハなどのマネージャであるウィリー・ウェーバーのマネージメントをこのころから受けることになった。これは2006年末にA1のドイツチームを運営していたウェーバーが初戦のドライバーとしてオファーしたのが切っ掛けだった。
GP2ARTグランプリからGP2に出走する。(2009年モナコグランプリ

2009年はARTグランプリからGP2の本シリーズから出場する予定だったが急遽、アジアシリーズに第3戦目、第4戦目の2戦4レースのみ出場し2回のポールポジション、1回の優勝をした。

GP2本シリーズでも活躍を見せ、母国レースとなったニュルブルクリンクではネルソン・ピケJr.以来GP2史上2人目となるフルポイントレース(第1レースでポールポジションファステストラップ、優勝を独占し、リバースグリッドでのスタートとなる第2レースでも優勝とファステストラップを獲得。GP2では20ポイント獲得できる)を達成した。そして第9戦モンツァでGP2チャンピオンを獲得した。最終戦を残してのチャンピオン獲得はGP2史上初めてとなる。
F1
ウィリアムズウィリアムズ・FW32をドライブするヒュルケンベルグ。(2010年カナダグランプリ

マネージャーのウィリー・ウェーバーはF1でのテストドライブを行うためにルノーF1フラビオ・ブリアトーレに接触していたが、2007年12月4日にヘレスウィリアムズからテストする機会を得て[8]、2007年12月13日にウィリアムズのテストドライバーとなることが発表された[9]。これにより、2008年及び2009年はF3やGP2と平行してウィリアムズのテストドライバーを務めた。

2010年より同チームのレギュラードライバーに昇格[10]。チームメイトは大ベテランのルーベンス・バリチェロ。第3戦マレーシアGPでは10位入賞を果たし、F1で初ポイントを獲得した。その後はしばらく入賞がなかったが、第10戦イギリスGPで10位入賞を果たすと、第12戦ハンガリーGPでは自己ベストの6位でフィニッシュした。さらに、第18戦ブラジルGPにて予選で雨が降り出す前に好タイムを記録する幸運により自身初のポールポジションを獲得した。所属するウィリアムズにとっては2005年ヨーロッパGP以来5年ぶり、ルーキードライバーのPP獲得は2007年ルイス・ハミルトン以来3年振りの快挙である。ただし、決勝は8位入賞で終わった。シーズン後半は時折バリチェロに肉薄するパフォーマンスを見せることもあったが、8月下旬ごろから、2010年シーズンいっぱいでウィリアムズから放出されるのではないか、という報道がなされるようになった[11][12][13]。その背景としてウィリアムズは2010年末で複数の主要スポンサーの撤退が重なり2011年シーズンの資金が不足していた[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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