2012年シーズンはエイドリアン・スーティルがチームから離脱し、レギュラードライバーに昇格した[21] 。開幕戦オーストラリアGPでQ3進出の9番手となったが、決勝はスタート時の接触事故でリタイアとなった。第2戦で9位入賞を果たすが、シーズン前半となる第10戦までの成績は第8戦の5位入賞を筆頭に10戦中計5回入賞にとどまった。母国である第10戦ドイツGPでは予選4番手でスタート時より順位を落とす形で9位入賞。第12戦ベルギーGPでは自己最高位となる4位で完走。特に最終戦ブラジルGPでは、難しい路面コンディションに翻弄されるドライバー達の中で、ドライタイヤで走り続けることを選択すると、ジェンソン・バトンと共に争いながら3位以下のドライバーを一時は40秒近くも引き離し、優勝も射程にとらえた。SC導入によりそのリードを失ってしまうものの、レース再開後も集中力を切らさず首位争いを演じた。しかしレース終盤に濡れた路面に足を掬われルイス・ハミルトンと接触。彼をリタイアに追い込んでしまい、ドライブスルーペナルティを受けたことで優勝争いから脱落。最終的に5位でチェッカーを受けた。後半戦は第12戦の4位を筆頭に10戦中入賞計6回を記録し、ランキングはディ・レスタを上回る11位を記録した。
ザウバーザウバー・C32をドライブするヒュルケンベルグ(2013年ドイツグランプリ)
2013年シーズンにはフェラーリへの移籍話なども挙がっていたが、最終的にザウバーから参戦した。
チームは前年は表彰台を計4回獲得する活躍を見せたが、今季はチームの財政難が表面化。現に給料未払いが発生するなど、移籍の決断が正しかったのか問われる状況になった。成績のほうも、サマーブレイク前の第10戦までは第2戦こそ8位入賞を記録したが、それ以外の入賞は10位入賞3回のみとなった。サマーブレイク後の後半戦はマシン開発に成功し、入賞圏内での順位争いができるようになり、韓国GPでは決勝4位を記録し、後半戦の成績だけで前半戦の成績を超える活躍となった。ただしチームの資金不足は深刻なままであり、前年のフォースインディアに続いて所属チームが資金難となってしまった。 フェリペ・マッサの後釜としてフェラーリのドライバー候補になったものの、最終的にキミ・ライコネンがシートを得た[22]。次にロータスと契約間近といわれながら、チームと投資家との交渉が難航して交渉が進展しない状況が続いた。最終的にはフォース・インディアに戻ることになった[23] 。 2014年、開幕戦から10戦連続入賞を記録し、特に序盤3戦が終わった時点ではドライバーズポイントではロズベルグ、ハミルトンに続く暫定3位、コンストラクターズランキングでもメルセデスに続く暫定2位につけた。だが、第11戦のリタイアをしてから、前半戦に上位入賞と比べれば、下位での入賞にとどまった。ドライバーズランキングは100ポイント近く獲得した9位と自身最多ポイントを獲得。チームメイトのセルジオ・ペレスの59ポイントの10位を上回ったものの、自身の最高位は5位に対し、ペレスは3位表彰台を獲得と手放しに喜べない面もあった。 2015年もフォース・インディアより参戦した。序盤は資金難の影響で他のマシンと比べ後れ[24]を取っていたが、第9戦でBスペックと称されたVJM08Bが投入[25]されてからは完走したレースでは入賞するようになった。最終的にはBスペック投入前は入賞3回、投入後は入賞6回となったが表彰台を獲得するまでには至らずランキングは10位となった。また、表彰台を獲得したペレスにもランキングで敗れた。 この年もフォース・インディアに残留。モナコGPでは予選5位を獲得し、レース終了直前にニコ・ロズベルグを抜き、6位を獲得するなどの見せ場を作った。オーストリアGPでは予選3位を獲得し、ロズベルグのペナルティにより2番手スタートとなったが、タイヤのマネージメントに苦しみ最後はトラブルでマシンを止めている。最終的にチームはポイントでウィリアムズを上回り、チームは創設以来最高となる4位の座を獲得したが、ペレスがモナコGPとヨーロッパGPで二度の3位表彰台を獲得したのに対し、ヒュルケンベルグは最高位4位で終わった。 2017年からはフォース・インディアを離れ、ルノーからの参戦を発表した。契約年数は2年プラスオプション1年となっている。しかしメルセデスAMGのニコ・ロズベルグが引退を発表した後、ヒュルケンベルグに対しメルセデス側がオファーを出したもの、ルノーに移籍を断られている[26]。
フォース・インディア(第二期)
2014年
2015年
2016年
ルノー
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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