ニコ・ヒュルケンベルグ
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序盤は資金難の影響で他のマシンと比べ後れ[24]を取っていたが、第9戦でBスペックと称されたVJM08Bが投入[25]されてからは完走したレースでは入賞するようになった。最終的にはBスペック投入前は入賞3回、投入後は入賞6回となったが表彰台を獲得するまでには至らずランキングは10位となった。また、表彰台を獲得したペレスにもランキングで敗れた。
2016年

この年もフォース・インディアに残留。モナコGPでは予選5位を獲得し、レース終了直前にニコ・ロズベルグを抜き、6位を獲得するなどの見せ場を作った。オーストリアGPでは予選3位を獲得し、ロズベルグのペナルティにより2番手スタートとなったが、タイヤのマネージメントに苦しみ最後はトラブルでマシンを止めている。最終的にチームはポイントでウィリアムズを上回り、チームは創設以来最高となる4位の座を獲得したが、ペレスがモナコGPとヨーロッパGPで二度の3位表彰台を獲得したのに対し、ヒュルケンベルグは最高位4位で終わった。
ルノー

2017年からはフォース・インディアを離れ、ルノーからの参戦を発表した。契約年数は2年プラスオプション1年となっている。しかしメルセデスAMGニコ・ロズベルグが引退を発表した後、ヒュルケンベルグに対しメルセデス側がオファーを出したもの、ルノーに移籍を断られている[26]
2017年

チームメイトはジョリオン・パーマー。パーマーを相手に予選では全勝。アメリカGPよりカルロス・サインツJr.がチームメイトとなる。序盤にポイントを積み重ねていたが、夏休み後に失速。それでも、予選では3強と呼ばれるメルセデスAMG、フェラーリ、レッドブルの後ろ、7番手を多く獲得するなど活躍を見せた。最終戦アブダビGPで6位に入り、その時の上位チームとなるウィリアムズの2人をかわし、ランキングで10位を獲得する。
2018年

チームに残留。チームメイトはサインツJr.とのコンビ。予選の成績も前年に比べ予選での3強の後ろにあたる7番手の獲得は減っているが、決勝ではメルセデス、フェラーリそしてレッドブルの上位陣をなかなか崩せないものの、着実に入賞を積み重ねた。チームメイト対決でも予選・決勝共にサインツを上回っていることが多く、第11戦の段階で前年の獲得ポイントを上回る結果を残している。その後も「リタイヤか中段上位か」といった成績ではあったが、最終戦アブダビGPこそマシンが一回転したものの、ポイント面でのリードを生かして今季の中団グループでの年間王者と言えるドライバーズランキング7位を獲得。ただし、ランキング7位という点ではキャリア最高位だが、ポイント面では最多ポイントの2014年を超えることはできなかった。ちなみにリタイアは7回と、8回のダニエル・リカルドに次ぐ2番目に多い記録であり、一種のハンデがありながらもランキング7位を獲得する結果を残した。
2019年

引き続きルノーから参戦。レッドブルから移籍してきたリカルドとコンビを組むも、前半12戦を終えて予選成績で敗北[27]。決勝も入賞数やポイント面では大差はついていないものの、リカルドの前でゴールすることはできていなかった。そんななか、第13戦ベルギーGPを前にルノーは、エステバン・オコンとの2年契約を発表した。この背景は、ルノー側は2021年のオプション付きの1年契約に対し、ヒュルケンベルグ側は2年契約を求めていた[28]が、交渉期限までに折り合いがつかなかったのが原因とされている。ヒュルケンベルグはルノーのオコン起用について、国籍が要因だと仄めかしたが、ルノーはこれを理由に起用したわけではないと否定している[29]
代役で復帰(2020年)

シートを失ったものの、F1復帰は諦めておらず[30]、1年間休養という形で2021年の復帰を候補に入れていた。だが、2020年に入るとコロナウイルスの世界的流行の影響が深刻化し、ドライバー市場もその影響でシートが変動する可能性が低くなり、2021年に復帰するのは絶望的な状況となった[31]。ところが、同シーズン第4戦の直前にレーシング・ポイントセルジオ・ペレスがGP開始前の7月30日のウイルス検査にて新型コロナウイルスの陽性反応が出たため、そうなった場合の規定に従い欠場が決定[32]。当初の予定ではメルセデスのリザーブドライバーを共有することで合意していたため、その登録者を出走させる予定だったが、いくつかの問題が立ちふさがった。登録者の2名のうちストフェル・バンドーンはドイツで行われるフォーミュラE参戦を優先していたことや移動や手続きなどの時間的問題がネックとなり事実上断念。エステバン・グティエレスはメルセデスチームに同行しイギリス国内にいたものの、スーパーライセンスの条件[33][34]やチームとの関係構築の時間的余裕がない点が懸念された。そこで出走に関して条件面で問題がなく、フォース・インディア時代に複数年在籍しチームの環境を知っているヒュルケンベルグに白羽の矢が立った。本人はドイツでの仕事のため、連絡を受けた時点ではそちらに到着したばかりでイギリス国外にいたものの、連絡を受けシルバーストンへ急行。そして、シルバーストン近郊にあるチームの拠点で手続きなどの準備を行い、チームはフリー走行1回目開始時と同時にヒュルケンベルグの起用を発表[35]。代役という形ではあるが、F1キャリアの中で最も長く在籍していたチームから復帰することとなった。

復帰初戦となった第4戦はFP2で7番手タイムを記録し、予選も13番手を記録。だが、決勝はマシントラブルでDNS(スタートできずにリタイア)となり、せっかくのチャンスは失われたかと思われた[36]。だが、第5戦もペレスからウイルスの陽性反応が出たため続投し、予選では3番手を獲得。初めての表彰台も期待された決勝では、4番手スタートで最終的に優勝したマックス・フェルスタッペンに早々にパスされ、その後もタイヤマネジメントに苦しみながら、ピットストップのタイミングもあり順位を下げたものの7位入賞となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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