ニコラス・ケイジ
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ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1995年『リービング・ラスベガス』
全米映画俳優組合賞
主演男優賞
1995年『リービング・ラスベガス』
その他の賞

備考
コッポラ家
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ニコラス・ケイジ(Nicolas Cage, 1964年1月7日 - )は、アメリカ合衆国俳優であり、映画監督映画製作者。1995年の『リービング・ラスベガス』では、アカデミー賞ゴールデングローブ賞全米映画俳優組合賞などで主演男優賞を受賞。
生い立ち

カリフォルニア州ロングビーチ生まれ。父オーガスト・コッポライタリア系で大学教授兼作家、母ジョイ・フォーゲルザングはドイツ系のバレエ・ダンサー。兄(マーク・コッポラクリストファー・コッポラ)がおり、クリストファーは映画監督をしている。父方の祖父は作曲家のカーマイン・コッポラ、祖母は女優のイタリア・ペニーニ。叔父に映画監督のフランシス・フォード・コッポラ、叔母に女優のタリア・シャイア、いとこにソフィア・コッポラロマン・コッポラがいる。

ビバリーヒルズ高校中退。日本語学校に通っていた経験があるため、日本語がある程度話せる。映画でもしばしば披露する他、来日時には日本語で挨拶することもある。
キャリア

1981年に『初体験/リッジモント・ハイ』でニコラス・コッポラとしてデビューする。その後、現在の芸名に変更した。芸名の「ケイジ」の由来はマーベル・コミック社のコミック「パワーマン」の主人公ルーク・ケイジから。若い頃はコッポラ監督の甥と呼ばれることを嫌がっていた。オーディションを受けても、製作者たちの浴びせる質問は彼についてではなく、叔父フランシスのことばかりだったという。本名のコッポラを名乗らず、あえて“ケイジ”の芸名を使うことにしたのも、そのためと言われている。

1995年の『リービング・ラスベガス』でアカデミー主演男優賞を受賞[1]オスカー受賞後は、芸術的な映画に留まらず、大作映画にも積極的に出演した。同業のショーン・ペンはケイジの大作映画出演をいぶかしく思っていると発言した[2]

サターン・フィルムズ(Saturn Films)という映画制作会社を設立。2000年に『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』に製作者として参加し、2002年には『SONNY ソニー』(Sonny)で監督兼プロデューサーを務めた。その後も、映画制作会社サターン・フィルムズの共同経営者として、いくつかの作品をプロデュースしている。
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出典検索?: "ニコラス・ケイジ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年7月)

家族

5度の結婚歴、4度の離婚歴があり、計3人の子供、計1人の孫がいる。

1988年に女優のクリスティーナ・フルトン
と交際、1990年12月26日に2人の間に生まれたのが後にブラックメタル・バンド「アイズ・オブ・ノクターン」のリードボーカルを務めるウェストン・コッポラ・ケイジである。


1995年4月8日に女優のパトリシア・アークエット再婚したが、2001年5月18日に離婚した。2002年8月10日にはリサ・マリー・プレスリーと再婚したが、同年11月15日に離婚を申請し、2004年5月26日に離婚した[3]。ちなみに、ケイジはプレスリーのコレクターでもある。


2004年7月30日にロサンゼルスの寿司店(Kabuki Japanese Restaurant)にてウエイトレスをしていた20歳年下の韓国系アメリカ人女性アリス・キムと韓国系ナイトクラブで出会い、再々婚した[4]。2005年10月3日に長男カル=エル・コッポラ・ケイジが誕生した。名前のカル=エルとは『スーパーマン』が生まれた時の名前である。
2011年4月15日、ニューオーリンズフレンチ・クオーターで泥酔して、近くにある住宅を自分の借家だと思い込んで妻アリスを引っ張って行こうとし、さらに喚きながらタクシーに乗り込もうとしてドメスティックバイオレンス、治安妨害、公衆酩酊(日本の「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」違反相当)の容疑で逮捕されたが、日本円で約94万円の保釈金を払い保釈され、仕事を再開した[5]。2016年6月、妻の浮気により離婚していたことが判明[6]し、2016年6月24日広報担当者の話として、同年1月にアリスと離婚していたことが発表された ⇒[1]。2019年3月23日、4度目になる結婚を、ロサンゼルスのタイ料理レストラン(Jasmine Thai Cuisine)経営者の両親を持つメイク・アップ・アーティストのエリカ・コイケ(父は日本人、母はタイ人。1983年アメリカ生まれ)と行ったが、四日後に無効申請を行った。理由は、両人が泥酔中に行った決定であることや、新婦が飲酒運転で逮捕歴があることなどである[7][8][9][10]。そして5月31日に ネバダ州クラーク郡の裁判所により離婚が正式に認められた[11]

2021年2月16日、ケイジの亡き父の誕生日の日に5度目の結婚を31歳年下の芝田璃子とラスベガスのウェスティンホテルで行った[12][13]


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