ナバラ県
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

冬季には気温が氷点下に落ち込み、標高の高い斜面は積雪を伴う[8]。パンプローナを含む中央部は変移地帯であり、冬季と夏季の気温差が激しい[8]。冬季は晴天日が多いが一定の降水もあり、夏季は暑く乾燥する日中と涼しい夜間が特徴である[8]。南部は地中海性気候であり、冬季にはシエルソ(スペイン語版)と呼ばれる北風が吹く。夏季は暑く乾燥し、気温はしばしば摂氏40度に達する[8]

パンプローナの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)19.5
(67.1)23.6
(74.5)30
(86)29.6
(85.3)33.5
(92.3)38.5
(101.3)40.2
(104.4)40.6
(105.1)38.8
(101.8)30
(86)27
(81)20
(68)40.6
(105.1)
平均最高気温 °C (°F)9.1
(48.4)10.9
(51.6)14.6
(58.3)16.4
(61.5)20.2
(68.4)25.2
(77.4)28.2
(82.8)28.3
(82.9)24.5
(76.1)19.3
(66.7)13.1
(55.6)9.7
(49.5)18.4
(65.1)
日平均気温 °C (°F)5.2
(41.4)6.3
(43.3)9.1
(48.4)10.9
(51.6)14.7
(58.5)18.6
(65.5)21.2
(70.2)21.4
(70.5)18.2
(64.8)14.1
(57.4)9.0
(48.2)6.0
(42.8)12.9
(55.2)
平均最低気温 °C (°F)1.4
(34.5)1.6
(34.9)3.7
(38.7)5.3
(41.5)8.6
(47.5)11.9
(53.4)14.2
(57.6)14.5
(58.1)12.0
(53.6)8.9
(48)4.8
(40.6)2.2
(36)7.4
(45.3)
最低気温記録 °C (°F)?12.4
(9.7)?15.2
(4.6)?9
(16)?2.2
(28)?0.2
(31.6)3.8
(38.8)7
(45)4.8
(40.6)3.4
(38.1)?1
(30)?6.6
(20.1)?14.2
(6.4)?15.2
(4.6)
降水量 mm (inch)57
(2.24)50
(1.97)54
(2.13)74
(2.91)60
(2.36)46
(1.81)33
(1.3)38
(1.5)44
(1.73)68
(2.68)75
(2.95)72
(2.83)674
(26.54)
湿度78726665635957586269767867
平均月間日照時間93125177185228268310282219164108882,240
出典1:スペイン国立気象庁(Aemet)[9]
出典2:スペイン国立気象庁(Aemet)[10]

人口自治体別の人口密度
    高密度     低密度

ナバラ州は272のムニシピオ(基礎自治体)からなる[11]。人口の約1/3が州都パンプローナ(195,769人)に住んでおり、人口の約半分がパンプローナ都市圏(315,988人)に住んでいる[12]。人口20,000人以上の自治体はパンプローナ、河岸部のトゥデラ、パンプローナ都市圏のバラニャインの3自治体であり、2013年時点では州全体の42.3%がこの3自治体に居住している[13]。人口2,000人から20,000人の自治体には州全体の39.2%が、人口2,000人以下の自治体に州全体の18.5%が居住している[13]

ナバラ州の自治体の人口順位(2013年)[13]
#人口自治体地域
1196,955パンプローナ中部
235,369トゥデラ南部(河岸部)
321,120バラニャイン中部(パンプローナ都市圏)
418,414バリェ・デ・エグエス/エグエシバル中部(パンプローナ都市圏)
518,248ブルラーダ/ブルラタ中部(パンプローナ都市圏)
614,120シスール・マジョール/シスル・ナグシア中部(パンプローナ都市圏)
713,947エステーリャ南部(河岸部)
811,201タファリャ南部(河岸部)

1900年時点のナバラ地方の人口はスペイン全体の1.7%だったが、20世紀を通じて緩やかに比率を低下させた結果、1991年時点では1.3%となった[14]。ナバラ州より人口が少ない自治州はラ・リオハ州カンタブリア州だけであり、ナバラ州の人口はスペインの全17自治州中15位である。1900年の人口は307,669人だったが、2014年には約2倍の640,356人となった[13]。人口密度は1900年の29人/km2から2014年には61.4人/km2に増加したが、スペイン平均の人口密度92人/km2を下回っている[13]。ピレネー渓谷や南西部のエステーリャ地域では20世紀初頭から人口が減少しつづけているが、パンプローナ盆地や河岸地域では人口が増加している[12]。2000年代にはラテンアメリカ、東欧、北アフリカなどからの移民が増加しており[12]、他国出身人口は約70,000人[13]、比率では約11%と推定されている[15]


ナバラ州の人口推移 1900?2001

出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[16]、1996年 - [17]

歴史
先史時代・古代古代ローマの影響を示す硬貨

ナバラに残る最古の考古学遺跡は、後期旧石器時代のマドレーヌ文化期(18,000年前 - 11,000年前)のものである[18]。北西部のアララール山地には金属器時代初期の巨石記念物ドルメンメンヒルストーンサークル)が見られ、南部からは鉄器時代の集落が発見されている[19]

その後やってきたケルト人はバスク地方に金属加工術や火葬の習慣をもたらし、紀元前3世紀にはカルタゴ人がピレネー山麓に達した[20]。紀元前133年のヌマンティア(英語版)の攻囲戦で古代ローマ人がケルト人を破ると、紀元前75年にはグナエウス・ポンペイウスが自身の名に因んだ都市ポンパエロ(現・パンプローナ)を建設した[21]。ポンパエロには神殿、公衆浴場、邸宅などが築かれてローマ的な都市となり[22][23]、ブドウ、オリーブ、小麦などのローマ作物の大規模農場が作られた。東部のサングエサやルンビエル(スペイン語版)など、アラゴン川アルガ川河畔の町はローマ化が著しく、逆に山間部の谷はほとんどローマの影響を受けなかった[22]。ローマ時代にキリスト教がバスク地方に定着していたとする有力な証拠はないが、伝承によれば、レイレ修道院の建設は435年、イラチェ修道院の建設は西ゴート時代、ロンセスバーリェス修道院の建設は638年とされている[24]
ナバラ王国ナバラ王国の最大版図(1030年)「ナバラ王国」も参照

主要なサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路である「フランスの道」は2つの峠によってピレネー山脈を超え、ナバラ地方のプエンテ・ラ・レイナで合流する[25]。サンティアゴの巡礼路は850年以後に人気を得て、巡礼者の往来は11世紀にピークに達した。ナバラは巡礼者と接する中でキリスト教を受け入れていった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:181 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef