ナチス・ドイツ(ドイツ語: Nazi-Deutschland、NS-Deutschland、英語: Nazi Germany)は、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)政権下の、1933年から1945年までのドイツ国の通称である。
この時期のドイツは社会のほぼ全ての側面においてナチズムの考え方が強要される全体主義国家と化し、ナチズムに基づいて様々な対外膨張政策を実行した。その一つであった1939年9月1日のポーランド侵攻が英仏の宣戦を招き、第二次世界大戦を引き起こすことになった。一時期は欧州のほぼ全土を支配下に置いたものの次第に戦況は悪化し、1943年の後半には連合国に対して完全な劣勢に立たされるようになった。1945年に行われた赤軍によるベルリンの戦いを前にヒトラーが自殺し、その後ヒトラーの遺言に基づいてカール・デーニッツが大統領となり、終戦までの暫定政権としてフレンスブルク政府が短期間存在した。最終的にドイツは1945年5月7日に連合国軍に降伏し、ドイツを統治する中央政府の不在が連合国によって宣言(ベルリン宣言を参照)されたことによって、解体され滅亡した。 1933年1月30日、ヴァイマル共和政のパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領により、ヒトラーはドイツ国首相に任命された。まもなく大統領令と全権委任法によって憲法を事実上停止した上に、社会民主党強制解散法などの対立政党の禁止やドイツ法律アカデミーの設立、長いナイフの夜による突撃隊粛清などにより政治的敵対勢力を全て抹殺し、ヒトラーを中心とする独裁体制を強固にした。一方で、政府は組織的かつ協力的な組織ではなく、ヒトラーの情実および権力を求めて闘争を行う党派の集合体であった。1934年8月2日のヒンデンブルク死後、ヒトラーは首相府および大統領府並びに両権限を統合した上に個人として国家元首の権能を吸収し、名実ともにドイツの独裁者及び指導者になった[1]。国家元首となったヒトラーの地位は日本語で総統と呼ばれる。世界恐慌の影響でドイツ経済はどん底となり、大量の失業者があふれていたが、多額の軍事支出を始めとする公共投資により、重工業を中心とする産業が伸長し、1935年にはほぼ完全雇用を達成した(ナチス・ドイツの経済)。 人種主義、特に反ユダヤ主義は、同政権の中心的特徴であった。ゲルマン人(北方人種)は、最も純粋なアーリア人種ひいては支配人種
概要
ナチス・ドイツは次第に積極的な領土要求を行い、要求が満たされなければ戦争を行うと脅迫した。1938年にはオーストリアを、翌年1939年にはチェコスロバキアを占拠した。ヒトラーはヨシフ・スターリンと条約を結び、東方の安全を確保したことにより1939年9月にポーランドに侵攻し、ヨーロッパにおける第二次世界大戦が勃発した。イタリア王国および東欧諸国と同盟を結び(枢軸国)、1940年までにドイツはヨーロッパの大部分を制圧し(ドイツによるヨーロッパ占領)、イギリスを脅かした。1941年のソビエト連邦へのドイツの侵攻開始後、ドイツとソ連は壮絶な独ソ戦の死闘を繰り広げた。東部占領地域は残忍な勢力下に置かれ、ヒトラーの統治に対するパルチザンは情け容赦なく抑圧された。