ナチス・ドイツのプロパガンダ
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そのためラジオは、すぐにナチのプロパガンダで影響力の大きなメディアへと成長した。しかし休む間もなく声を張り上げる政治宣伝番組が続くと、これに嫌気が差す国民が急速に増えていった。そこでゲッベルスは必要に迫られ、より一層人々の気をそそり、気晴らしになるような番組制作へと舵を切った。例えばリクエスト番組の希望音楽会(ドイツ語版)、ラジオドラマ、戦果に胸が高鳴る国防軍戦況発表(ドイツ語版)などである。

また国民の意見傾向の確認とこれに対応した宣伝が重要であった。日々刻々と移り変わる世論に、できる限り迅速に対応する必要があった。1938年の11月ポグロム(いわゆる「帝国水晶の夜」)、すなわちナチ政権が、組織的にドイツ全土でほぼすべてのシナゴーグ、無数のユダヤ人商店や施設、ドイツ系ユダヤ人の住居を破壊した事件であるが、この事件後、人々の間でも、また党内でも、経済を損なうこの類の度を越した暴力行為からある種、距離を置く態度が認められた[9]。その結果、人種主義的プロパガンダは一時的に減少した。この時からユダヤ人社会に対する嫌がらせは、むしろ鳴りを潜めた。その理由は、「迫害があまり目立たず、かつ適法の範囲内で行われる」方が、住民がナチスのユダヤ人や政敵に対するポグロム政策を受け入れやすいことが確認されたためである[10]

第二次世界大戦末期、軍事情勢が絶望的になるのに合わせ、ラジオや特に『ドイツ週間ニュース』で一層強調されていったのが、遠のくばかりの「最終勝利(ドイツ語版)」のため、国民に犠牲をささげる覚悟を決めさせることであった。戦争の1年目は「勝利は確実」と声高に語られたものの、この時になると、ただひたすら「最後まで戦う」を繰り返すばかりであった。
戦略
政治的レトリックヒトラーの演説ポーズ

ナチスの影響下、多くの概念の評価が劇的に変わった。ヴァイマル共和政の市民社会において道徳面で否定的に評価された用語は、ナチスのプロパガンダによって肯定的なものへ変えられた。例えば「rucksichtslos」(顧慮のない)という形容詞は、ナチスの用語では「ひたむき」や「エネルギッシュ」といった肯定的な意味になった。同様に「Hass」(憎悪)は特定のコンテキストでは肯定的な意味になった。「北方人種の英雄的な憎悪」は「ユダヤ人の卑劣な憎悪」に対置された。

プロパガンダ言語のこの他の特徴には「暴力のレトリック」の使用が挙げられる。特にヒトラーの演説では、政敵に対して極端に喧嘩腰なトーンで誹謗中傷し、口汚く攻撃した。政敵は凶悪犯と罵られ、さらに欺瞞、サボタージュ、ペテン、詐欺、あげく殺人と非難された。特にユダヤ人は修辞的に悪魔化されると同時に、特定の用語法で道徳的にも貶められた。例えば動物と比較して「entmenschlicht」(人の道にもとる)。「寄生虫」「カメムシ」「回虫」「害虫」といった罵り言葉を用いることによって共感を失わせ、これを聞く者が、攻撃を受ける者への同情心を失わせるものであった。その代わりに、ナチスが民族共同体にとって有害とみなし、レッテルを張られた一部の人々の物理的「抹殺」や「絶滅」については、これに応じた連想から、もっともなこと、とされた[11]。「国民の敵」を撲滅すべく、ヒトラーやゲッベルスをはじめとするナチの演説者は繰り返し「脅威の徹底的排除」(ゲッベルスの1943年のスポーツ宮殿演説)や「ヨーロッパにおけるユダヤ人の絶滅」(ヒトラー)を訴えかけた[12]ユダヤ人に対するプロパガンダ関連では、ナチの新聞学者ヨハン・フォン・レーアス(ドイツ語版)が特別な役割を果たした。
総統崇拝ヒトラーの演説を聞くために、一時休業した商店。.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}虚像として戦傷章の最高位である黄金戦傷章を身につけたヒトラーの肖像画(左)
黒色戦傷章に修正された肖像画(右)


アドルフ・ヒトラーをあらゆる疑念を超越し、近寄りがたく、栄光に満ちた指導者というイメージに様式化することは、ナチスのプロパガンダにとって中心課題であった(総統崇拝(ドイツ語版)、指導者原理)。そのためにはヒトラーのかなり疑わしい過去が隠蔽され、肯定的な作り話で覆われ徹底的に神格化された。「総統」の権限に対する盲目的信頼を生み出すことが目的であった。「総統、命令を、我らは従う (Fuhrer befiehl, wir folgen)」は非常によく使われたスローガンだった。ドイツ国民だけではなくナチ党の指導部にまでこの様式化に屈した[13]。研究プロジェクト「歴史と記憶」において、ナチス支持者へのインタビューを通じて実証に成功したように、ナチのプロパガンダと信奉者との相互作用によるものであった。一つにはドイツ国民の大多数が恥辱の気持ちで一杯であったこと、世界大戦のトラウマが未処理で、解消されていなかったこと、心理的退行と救済の幻想によって、他方はナチのプロパガンダによって操作されたものである[14]。高位のナチ政治家は特定の政治的企図に疑いを持ったとしても、密告への恐れではなく、むしろ全能の父親像との過剰な自己同一化のために声を上げなかった。ヘルマン・ゲーリングは適切に表現している。「私には良心などない! アドルフ・ヒトラーこそ我が良心である。」

一方で同時にヒトラーの神格化や過剰な称揚を、「ヒトラーも君と僕と同じ人間だ」と個人的側面を提示して抑えようとする試みがあった。


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