ナショナリズム
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しかし、戦勝国のイギリス・フランスもまた広大な植民地帝国であったため、アジア・アフリカでの民族自決は否定された[17]

第一次世界大戦中、アジア・アフリカでも総力戦体制のもと、多くの人的・物的資源が動員されていた。こうしたことは、アジア・アフリカの民衆を徐々にナショナリズムに目覚めさせていくことになった。その矢先にパリ講和会議で民族自決が否定されたことは、アジア・アフリカの深い失望を招くものであった。こうして第一次世界大戦後には、それまでナショナリズムの希薄だったアフリカにおいても各種の政治団体が組織され、本格的にナショナリズムが勃興するようになった[18]。このように植民地・半植民地とされた従属地域では、まずは民族の解放が最優先の課題とされたが、そうした中で世界社会主義革命をめざすソ連が、その戦略の一端としてアジア・アフリカの民族運動に理解を示す行動を取ったため、こうした地域ではナショナリズムと社会主義が結合する事態が生じた。そのため、中国ベトナムの共産党などのように、コミンテルンの主導で結成された社会主義政党がやがて民族運動の中心勢力となり、第二次世界大戦後には国家建設を担うということも起こった[19]

一方、ヨーロッパの新独立国においては、ナショナリズム間で深刻な衝突が起こっていた。新独立国は国民国家として構想され、どの国においても主要民族が人口の大半を占めていたものの、いずれの国家も国内に少なくない数の非主要民族を抱えており、国民統合を進めるため強硬な同化政策や排除を進める国家側と、それに抵抗する少数派とが激しく対立した。またこれらの少数派民族の中には、旧帝国時代には支配層だったドイツ人マジャール人などが含まれており、彼らは国土の縮小した自民族の国家と連携して戦後秩序の改正を求めるようになった[20]。さらにこの時期には各国のナショナリズムからはじき出されたユダヤ人の間で、以前からあったナショナリズムが大きく盛り上がりを見せるようになったが、彼らは主な居住地域であるヨーロッパ大陸内に国家を建設した経験を持たず、このため民族のルーツであるエルサレムおよびパレスチナ周辺に自民族国家の建設を目指す、いわゆるシオニズムが盛んとなった[21]

第一次世界大戦の戦後処理は総体としてうまくいったとは言えず、かなりの地域において不満がくすぶっている状態が続いていた。この不満の受け皿としてナショナリズムは盛んとなり、やがてファシズムの台頭を招くこととなった。ファシズムとナショナリズムの間の関係には様々な説が存在するが、両者の間に密接な関係があったということは定説となっている[22]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本では、大正時代にナショナリズムが原因で関東大震災朝鮮人虐殺事件が起きた。[独自研究?]
植民地の独立

各植民地におけるナショナリズムは、それまで絶対的な存在だった宗主国が第二次世界大戦によって大きな損害を受け支配体制が揺らいだことを背景に、第二次世界大戦後急速に勢力を拡大していった。また第一次世界大戦と同様第二次世界大戦においても各植民地から多くの兵士が出征しており、戦地で見聞を広めた彼らが帰国したこともナショナリズムの拡大を助けた。また大戦中に設立された国際連合は、信託統治領の自治および独立を目指すよう施政権者に義務を課す[23]など、アジア・アフリカでの民族自決を基本的に支持するスタンスを取っていた。こうしたことから各植民地ではナショナリズムの高揚とそれに伴う独立運動の激化がみられるようになり、経済の変動により植民地の保持が経済的に利益をもたらさなくなってきたことも相まって、第二次世界大戦後、アジア・アフリカの植民地は次々と独立を果たしていった。

しかし新独立国においては、国家と国民との乖離が深刻なものとなっていた。特にアフリカにおいては、国境線はアフリカ分割時に各宗主国によって恣意的にひかれたものであり、民族分布とは多くの場合一致していなかった。各国政府は国民の形成を急いだが、そのため国内に存在する各民族のナショナリズムを「部族主義」(トライバリズム)と呼んで非難し抑圧することがしばしば行われた。一方で各国政府の指導者は自民族を重用し政府内を自民族で固めるといったことをしばしば行い、このため国民の形成はほとんどの国家において掛け声倒れに終わってしまい、逆に支配民族と被支配民族との激しい抗争が繰り返されるようになった[24]

また逆に、アジアやラテンアメリカの新独立国においては、権威主義的な政権がナショナリズムを鼓吹し、独裁的な政権運営の元で経済の成長を目指す、いわゆる開発独裁体制がしばしば表れた[25]
冷戦後の世界.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}ソビエト連邦の崩壊ユーゴスラビアの崩壊

冷戦が終結すると、崩壊したソビエト連邦ユーゴスラビアから、旧連邦の政治的単位に沿った新しい国家が誕生した。この際、特にユーゴスラビアにおいては凄惨な内戦が勃発した(ユーゴスラビア紛争)。また、グローバリゼーションの進展により国境を越えた交流が非常に盛んとなったものの、それへの反発を取り込んでナショナリズムが再び盛り上がることにもなっている[26]。これは、グローバリゼーションによって経済格差の増大や社会の急激な変化などによって社会の亀裂が深刻化し、それに不満を持った層が自国の文化や伝統にすがって他国を攻撃する、いわゆる排他的ナショナリズムの隆盛につながっている[27][28]
コロナ禍

2020年新型コロナウイルスパンデミック発生の際に、以前より燻っていた人種差別、国家間の利権争いが露骨に表面化した結果として、ナショナリズムが台頭することになった[29]。(コロナ禍
主な学説
19世紀
ルナン

エルネスト・ルナンは、講演『国民とは何か? (Qu'est-ce qu'une nation?) 』で、フィヒテに代表されるような民族・言語の共通性などに立脚する「ネイション」概念を否定した。彼によれば、「ネイション」とは民族・言語・宗教・地勢などによって定められるのではなく精神的な原理に立脚するものであり、彼の代表的な言葉を借りれば「日々の国民投票」によって形成されるものとされる。
20世紀後半
アンダーソン

ベネディクト・アンダーソンの主著『想像の共同体』は「新しい古典」とも言われ、ナショナリズム論に関する必読書の一つとなっている。書名にもなっている「想像の共同体」とはネイション自体を指す。ネイションは言語、文化、遺伝的近親性(人種)などを共通項として形成されるとされるが、ネイション内にも文化的差違は存在するし、全成員が血で結ばれているネイションはほとんど存在しないなど、いずれも決定的な要因ではない。むしろ実際に血がつながっているかということなどは問題ではなく、これらの要素を共有していると想像し、成員が「共同幻想」を共有することによってネイションは成立しているとされる。すなわちネイションとは「心に描かれた想像の政治的共同体である」。アンダーソンは前近代の小さく同質性の高い共同体が「想像の共同体」であるネイションに拡張された要因を出版資本主義(英語版)の発展に求め、ネイションの公用語たる世俗語による新聞が「想像の共同体」形成に大きく寄与したとする。このようにネイションの形成過程の考察にかんして事実上の標準に近い位置にあるアンダーソンであるが、最近ではグローバリゼーションに対応したナショナリズムである「遠隔地(遠距離)ナショナリズム」という概念を提示している[30]
スミス

アントニー・D・スミスは前近代に見られたネイションに似た民族集団を「エトニ」と名づけ、近代の産物であるネイションとは区別した。ネイションはあるエトニが他の周辺エトニを包摂していくことによって成立したとされ、近代以前からの古いエトニの伝統を引き継ぎつつも、近代に成立した新しい存在であるとされる。またスミスはエトニを貴族的な水平エトニと平民的な垂直エトニに分け、両者の性質の違いから個々のエトニの動員力や連続性、拡張性を説明している。スミスは近代主義を批判しているが、必ずしもアンダーソンと主張が対立するわけではない。むしろ、中核エトニが周辺エトニを包摂していく過程にかんしてはアンダーソンの想像の共同体を援用すらしている[31]。アンダーソンも前近代における共同体の存在は否定しておらず、血縁などによるなど狭い範囲の共同体が近代になり、より広い共同体の一部となったとしていることから、スミスとアンダーソンの主張は、近代主義とその批判というよりも、相互に補完しあうものとなっている。


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