ペロポネソス艦隊右翼20隻はアテナイ艦隊11隻を追ったが、アテナイ艦隊は1隻を除いてナウパクトスに逃げ込んだ。勝利はもはやペロポネソス側の手の内にあるように見え、彼らは戦勝歌すら歌っていた。最後のアテナイ船はレウカス船によって追われていたが、その時沖合いに停泊していた商船をぐるりと一周してレウカス船の腹部に回り込んで腹部を衝角で突いて沈めた。これを見て勇気を得たアテナイ艦隊は打って出て反撃を開始した。この事件によって狼狽し、追撃で隊列が乱しており、不案内のために座礁している船すらあった敵をアテナイ艦隊は敗走させ、6隻の敵船を拿捕して敵に拿捕されていた味方の船10隻を奪い返した。また、前述のレウカス船には諮問団の一人ティモクラテスが乗っており、彼は船が沈められたのを知ると自ら命を絶った。双方が戦勝塚を立てて勝利を主張しはしたが、どちらが勝ったのかは明らかだった。ペロポネソス艦隊はコリントスへと退却し、また海戦の後にクレタから援軍のアテナイ艦隊20隻がナウパクトスに到着した[4]。 この驚くべき勝利によってアテナイはナウパクトスとコリントス湾の制海権を守った。それと同時に、アテナイとその北西の同盟国との間に楔を打ち込むというスパルタの試みは最終的な失敗に終わった。
結果
註^ トゥキュディデス, II. 85
^ トゥキュディデス, II. 86
^ トゥキュディデス, II. 90
^ トゥキュディデス, II. 91
参考文献
トゥキュディデス 著、藤縄謙三 訳『歴史』 (1)、京都大学学術出版会、2000年。