ナイン・インチ・ネイルズ(Nine Inch Nails)は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドで結成されたインダストリアル・ロックバンド。2020年に『ロックの殿堂』入り。 1989年にシングル「ダウン・イン・イット」でデビューを果たした。その斬新かつ精密なサウンド・プロダクションやビジュアル・ワーク、過激なステージング、内省的な世界観は後進のアーティストに大きな影響を与えた。それまでアンダーグラウンド・シーンの一つであったインダストリアル・ロックをオーバーグラウンドに持ち上げたバンドの一つでもある。1993年と1996年にはグラミー賞のベスト・メタル・パフォーマーに選出された。 2011年「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第93位に選出された。 メイン・コンポーザーのトレント・レズナーは、1997年のタイム誌が特集を組んだ「最も影響のある25人のアメリカ人」の一人に選出された事もある。 略称は「NIN」。ロゴは3文字目のNが左右反転され、「NIИ」に似たアンビグラムになっている。ただし、印刷物やテキストデータでは普通に「NIN」と書かれる。 ナイン・インチ・ネイルズは1988年に活動を開始している。レズナーはアメリカ、オハイオ州のクリーブランドにあるインディペンデント・レーベル「ライト・トラック・スタジオ」にてデモレコーディングを行った。それは1994年に"Purest Feeling"と言うタイトルが付いた海賊盤となってリリースされた。そのデモを複数のレーベルに送り、その後TVTレコーズとの契約を結ぶ。 "Purest Feeling"に収録された楽曲にいくつかの新曲を加え、1989年に『プリティ・ヘイト・マシーン』がリリースされた。このアルバムはイギリス・ロンドンでレコーディング作業が進められた。この作業にてレズナーはエイドリアン・シャーウッドとの最初の共同作業を行った(この後、シャーウッドは2000年までしばしばNINの作品にクレジットされる事になる)。このアルバムは親しみやすいメロディーと内省的な歌詞、暗く美しいサウンドに彩られたアルバムとなった。「ダウン・イン・イット」と「ヘッド・ライク・ア・ホール」、「シン」がシングルカットされ、「シン」を除いた2曲のビデオ・クリップがMTVで頻繁に放送された。「シン」についてはその内容が過激すぎるために1997年のビデオ作品『クロージュア (Closure)』までその映像が公にされる事はなかった。 『プリティ・ヘイト・マシーン』は爆発的なセールスを記録する事はなかったものの、リリースから2年に渡ってビルボードにチャートインする息の長い作品となり、結果的に100万枚のセールスを挙げる事になった。 NINは最初の北米ツアーをスキニー・パピー、ピーター・マーフィー(元バウハウス)、ジーザス&メリーチェインとともに行った。NINの破壊的なステージングはこれまでのシンセサイザーを使ったバンドとはあまりにも異なるスタンスであったために、すぐに大きな噂となった。破れたジーンズを履き、綱紐を天井に引っ掛けて首や胴体に巻きつけて歌うパフォーマンスも行っていた。この頃は金がなかったため「代行料金をどう払えばいいんだ?」や「音楽を始めた頃、親父に買ってもらった機材のクソ古いケーブルをまだ使っていた」などの発言がある。1991年に「プリティ・ヘイト・マシーン」のツアーの一環として最初のロラパルーザに出演した。その後アメリカでガンズ・アンド・ローゼズのツアーに帯同するなど、その活動規模は徐々に大きなものになって行ったが、所属していたTVTレコーズによる作品への干渉が強くなり(「Front 242 1992年、6曲の新曲に2曲のボーナストラックを加えたEP、『ブロークン
概要
略歴
1988年 - 1991年ロラパルーザにて (1991年)
1992年
このEPに収録された「ウィッシュ」はスロッビング・グリッスル、コイルのピーター・クリストファーソンによってビデオ・クリップが制作された。このEPからはシングルカットは行われなかったが、「ウィッシュ」の他に「ハピネス・イン・スレイヴァリー」、「ピニオン」のビデオが制作された。中でも「ハピネス・イン・スレイヴァリー」のビデオ・クリップの過激さは群を抜いており、作中でボブ・フラナガンというパフォーマンス・アーティストが、彼自身が横たわった機械に身体をえぐり取られて殺されてしまうと言う内容であった。当然ながらMTVなどでは放送される事がなかった。これらのビデオクリップは『ブロークン・ムービー (Broken Movie)』と呼ばれる、CDのプロモーションを目的とした短編映画の為に撮影された。内容が非常に過激であり、また本人たちがマスコミに騒がれる事を嫌って正式に公開される事はなかったが、海賊盤ビデオが出回っている。なお、ビデオ作品『クロージャー』において『ブロークン・ムービー』で使用された楽曲のビデオ・クリップを見る事ができる。
「ウィッシュ」のビデオ・クリップについては、1995年にライブ映像を使用したビデオ・クリップが再度製作され、MTVで放送されているのはこのバージョンになる。また「ゲイヴ・アップ」についても、後に『ザ・ダウンワード・スパイラル (The Downward Spiral)』がレコーディングされるラ・ピッグ・スタジオにてビデオクリップが製作された。このクリップには、マリリン・マンソンが登場している。
また、「ゲイヴ・アップ」には、『ブロークン・ムービー』のラストシーンを抜粋したバージョンのクリップがある。男が拷問されてチェーンソーで切り刻まれ、レイプされ、ナイフで滅多刺しにされた挙句加害者に臓物をむさぼられるという、「ハピネス・イン・スレイヴァリー」と並ぶ残虐な内容である。
『ブロークン』がリリースされた2ヶ月後に、唯一のフォローアップ作品となる『フィックスト』がリリースされた。ダニー・ハイド、J.G.サーウェル、ブッチ・ヴィグ(現ガービッジ)らをリミキサーとして起用し、ブロークンに収録されたいくつかの曲をリミックスした。
1994年 - 1995年'94~'95年頃撮影
1994年にはセカンド・アルバムとなる『ザ・ダウンワード・スパイラル』をリリースした。このアルバムはビルボード誌のチャートで初登場2位を記録し、NINの評価を決定的にする作品となった。2003年にローリングストーン誌が企画した「500 greatest albums of all time」の200位にランクインし、2005年のスピン誌が企画した「100 Greatest Albums, 1985?2005」の25位にランクインを果たした。
NINはこのアルバムのフォロー・アップツアーとして「セルフ・ディストラクションツアー」と冠されたツアーを行った。このツアーの中で「ウッドストック 1994」に参加した。「ウッドストック 1994」は土砂降りの雨中でライブが行われた。泥まみれの観客が待つ中、バンドメンバーも泥まみれの姿でステージに登場したNINのパフォーマンスはNINのキャリアの中で最も有名なエピソードの一つとなった。
「ライブの直前はいつも吐きそうな気分だった、それは本当にナーバスな日だった。ステージに向かう途中で俺がDannyを押したら、奴は顔から泥に突っ込んだんだ。で、奴が俺にタックルしてきて、それは男だけの泥レスリングみたいなのに変わった。それをやった後、不安はすっかり消えたんだ。」とトレントは言っている。
さらに、トレントはオリバー・ストーン監督の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のサウンドトラックをプロデュースした。NINはこのサウンドトラックに「サムシング・アイ・キャン・ネヴァー・ハヴ」、「ア・ウォーム・プレイス」、そして当時未発表曲の「バーン」を提供している。
1995年にはセカンド・アルバムのリミックス作品となる『ザ・ファーザー・ダウン・ザ・スパイラル』(Further Down the Spiral) をリリースした。この作品はUS盤とUK盤の2種類が発売されており、それぞれ収録曲が異なっている。本作ではエイフェックス・ツイン、有名プロデューサーのリック・ルービンらがリミックスを手がけている。