ナインティナイン
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2004年、中居正広と共に『FNS27時間テレビ めちゃ2オキてるッ! 楽しくなければテレビじゃないじゃ?ん!!』の総合司会を務めた。岡村はこの番組の企画においてボクシングに挑戦、本番では具志堅用高と対戦した。

2010年、岡村が7月15日から体調不良を理由に休養を発表。休養期間中のコンビ活動は休止となり、レギュラー番組には矢部が単独で出演していた。岡村は約5ヶ月後の11月27日放送(24日収録)の『めちゃ2イケてるッ!』にて復帰。以後はその他の番組にも順次復帰を果たしている。

2011年2月26日放送『めちゃイケ』ナインティナイン結成20周年記念SP内で、宣材写真を撮り直した。

2011年6月5日放送『爆笑!大日本アカン警察2時間スペシャル』で、ダウンタウン松本人志浜田雅功)と14年ぶりの共演を果たす。

2011年、中居正広と共に『FNS27時間テレビ めちゃ2デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ?ん!!』の総合司会を務めた。矢部はこの番組の企画において100kmマラソンに挑戦した。

2013年3月27日、矢部が予てから交際していた元TBSアナウンサーでフリーアナウンサーの青木裕子と入籍。

2014年9月25日、『ナインティナインのオールナイトニッポン』終了、20年半と長い歴史に幕を閉じたとともに歴代最長記録を保持している。翌週10月2日から岡村のみとなり『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』が放送開始。

2015年、『FNS27時間テレビ めちゃ2ピンチってるッ! 1億2500万人の本気になれなきゃテレビじゃないじゃ?ん!!』の総合司会を中居正広と共に務めた[1]

2018年3月31日、『めちゃイケ』放送終了。これによりコンビでのレギュラー番組は単発を除けば『ぐるナイ』のみとなった。

2020年5月14日、『ナインティナインのオールナイトニッポン』放送再開。コンビ結成30周年を迎える。

2020年9月10日の 『ぐるぐるナインティナイン 2時間SP』で、15年ぶりにネタを披露[4]

2020年10月22日放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』内で、岡村が30代の一般人女性との結婚を報告した。これにより、コンビで既婚者となった。

2023年10月11日、およそ5年半振りにコンビでの新レギュラー番組『週刊ナイナイミュージック』放送開始。
備考
コンビ名の由来

岡村によると、コンビ名の由来は岡村が嗜んでいたブレイクダンスの技の1つである「1990(ナインティーンナインティ)」から引用した。「NSC9期出身の2人だから」という説は後付けとしている[5]
芸風

初期は舞台を中心にコント漫才を行っていた。岡村の全身を使ったダイナミックなボケと、矢部の「?じゃないスか」などの冷静な「敬語ツッコミ」が特徴的。岡村が「身長はひゃく○○じゅっ○○センチです」とゴマかす「チビネタ」等も多かった。ねるとん出演時にて、チビネタがとんねるず石橋貴明木梨憲武)にハマっていた。

大阪から東京に活動の場を移してからはテレビのバラエティ番組をメインに活動している。岡村が常識的なことをあえて知らないフリをしたり勘違いしたまま暴走し、それを矢部が軽くツッコみながらも岡村を泳がす「勘違いボケ」などを得意としている。

ネタ作りは岡村が担い、仕切りや司会などは矢部が担当している。仕事の比率で言えば岡村の仕事量の負担が多く、ネタを考える岡村の横において矢部が新聞や週刊誌を読んで休んでいることでケンカが頻繁にあった。矢部は岡村が苦手としている仕切りや司会の仕事を矢部が練習もせず見事に熟すこと、岡村の真面目にネタを考え笑いに真剣に取り組んでいる部分、お互いに長所・短所をカバーしてコンビのバランスを取っている。
お笑いを目指すきっかけ

立命館大学に在学中は国家公務員を目指していた岡村だったが、それは「安定した職についてほしい」という父・治雄の勧めによるものであった。矢部の誘いをきっかけに「俺は親父の敷いたレールの上を歩いていただけやった」(岡村談)と思い直し、お笑いへの方向転換を決意したという。

当時の岡村の父は「隆史をヤクザの世界に誘いおって、矢部を絶対に許さへん!」と大激怒し、矢部が岡村の家に遊びに行っても一切口を利いてくれなくなった。岡村が休養したのをきっかけに矢部は岡村の父から「矢部さん、本当に隆史を見捨てんといて下さい」と言われ、2人はメールでやり取りをする仲にまで進展したのを元マネージャーとの対談で語っている[6]
マネージャー

ナイナイ担当の歴代マネージャーはあだ名を付けられるのが恒例になっている。その命名は何故か有野晋哉よゐこ)。特にキャラクターが特徴的な人物は『ナインティナインのオールナイトニッポン』で面白いエピソードとして語られるため、リスナーにもネタにされることが多い。

歴代マネージャーのあだ名には、河内マン(河内)・坪倉大臣(ツボクレンジャー、坪倉)・磯塚センターフライ(磯塚)・イトックス(伊藤)・なかなかじま(中島)・お茶子さん(中村)・満喫太郎(織田)・サトスター(佐藤)・居眠り姫(古瀬)・アジアンビューティー(土橋)・大森二等兵(大森)・ジム大谷(大谷)・なうかど(今門)・新車車谷(車谷)などがある。

新しいマネージャーが付いた際に、大阪時代のマネージャーが矢部のファンに手を出して吉本をクビになった旨がオールナイトニッポンで半ばお約束として語られる。

ナイナイのオールナイトニッポンでよくマネージャーイジりをしていた。坪倉が野猿で唯一女性ボーカルで一度だけ参加したCA(荒井千佳)との入籍を「嫁が野猿」とイジったり、アナウンサーの内田恭子が週刊誌に「吉本のマネージャーKと熱愛(のちに結婚)」を岡村に「河内マンだと思う」と言われたが、矢部に「(河内マネージャーが)体型ちゃうし、河内は角刈りやん!」とイジられた。
ナイナイ会議

ナイナイが今後どのような活動をしてゆくのか、壁にぶち当たった時などに2人だけで会議が行われている。テレビやラジオで会議が行われる場合もあるが、それ以外に他人から知られたくない議題は主にメールで行うことになっている。年齢と共に仕事への向き合い方での修正や活躍の仕方、コンビでの活動などが話し合われる。
受賞歴
漫才

1991年 : 第12回今宮こどもえびす新人漫才コンクールこども大賞受賞。

1992年 : 第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞受賞。

受賞後、司会の桂三枝(現・六代目桂文枝)にインタビューされ岡村は号泣。また当時の矢部は舞台衣装がなく、2期先輩である蛍原徹(元雨上がり決死隊)からジャケットを借りて挑んだ。


1993年 : 第22回上方お笑い大賞銀賞受賞。

映画

1997年 : 『岸和田少年愚連隊』(監督は井筒和幸)で第39回ブルーリボン賞 新人賞・作品賞を受賞。

1999年 : 『メッセンジャー』で矢部が第23回日本アカデミー賞 話題賞・俳優部門受賞。

1999年 : 岡村主演の香港映画『無問題(モーマンタイ)』で第23回日本アカデミー賞 話題賞・作品部門を受賞。

2011年 : 『てぃだかんかん?海とサンゴと小さな奇跡?』で岡村が第34回日本アカデミー賞話題賞・俳優部門受賞。

テレビ

1993年 : 第13回『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で岡村が新人賞を受賞。

出演「岡村隆史#出演」および「矢部浩之#出演」も参照
テレビ番組
現在の出演番組

レギュラー番組

ぐるぐるナインティナイン(1994年4月 - 、日本テレビ)- MC[7][注 2]

週刊ナイナイミュージック(2023年10月 - 、フジテレビ)- MC

スペシャル番組

初詣!爆笑ヒットパレード(1995年・2008年1月1日 - 、フジテレビ系)- MC[7]

ぐるナイおもしろ荘SP(2012年1月1日 - 、日本テレビ)

ENGEIグランドスラム(2015年5月 - 、フジテレビ系)- MC[7]


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