ドーリットル空襲とは[7]、1942年(昭和17年)4月18日に、航空母艦ホーネットから発進したB-25双発爆撃機ミッチェル16機が、太平洋戦争で初めて日本本土攻撃をした一連の空襲[8][9][10] である。ヨークタウン級航空母艦2隻(エンタープライズ、ホーネット)を基幹とするハルゼー提督指揮下のアメリカ海軍機動部隊が太平洋を横断し、日本列島(本州)東方海域に到達して行った[11][12]。ジミー・ドーリットル中佐を指揮官とするB-25爆撃機16機は[12][13]、日本本土各地(東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸等)に空襲を実施し、主に民間に被害が出た[14][15]。軍事的な戦果は潜水母艦から航空母艦へ改造中の大鯨(龍鳳)が直撃弾で損傷[8]、またアメリカ軍機動部隊の掃討により漁船改造の特設監視艇隊に被害が出た程度だったが[16]、日本軍に与えた衝撃は極めて大きかった[9][17][18]。
作戦遂行において中華民国の国民革命軍の支援を受けており、日本本土爆撃を終えたB-25のうち15機は中国大陸に不時着して放棄された[9][19]。この際、搭乗員8名が日本軍の捕虜となり、その処遇を巡って問題になった[20][21]。また1機はソビエト連邦支配地域に不時着して、搭乗員は抑留された[9][19]。
背景
相次ぐアメリカ本土攻撃アメリカ本土沿岸で通商破壊戦を行った伊10。サンフランシスコ市内に張り出されたシェルターへの避難案内と日系アメリカ人に対する強制退去命令。
1941年(昭和16年)12月8日に行われた真珠湾攻撃以降、アメリカ軍は日本軍に対し各方面で一方的な敗退が続いた[22]。