ドーバー海峡
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公認・後援団体は「チャンネルスイミング案内連合」(Channel Swimming & Piloting Federation、CS&PF)と「チャンネルスイム協会」(Channel Swimming Association、CSA)の2つがある。直線距離は約34kmであるが、常に南西から北東へ流れる潮流が速く(偏西風北大西洋海流の影響を受ける)、実際に泳ぐ距離は約50?60km程度とされる。冷たい水温、夜を徹して泳ぐことになる精神的疲労などのさまざまな障害があり、単独横断泳の成功率はかつては約10%という困難な挑戦だった。データ解析やスイマーの技術向上により成功率は上がったが、現在でも60%程度である。また、記録が公認されるのは水着のみを着用し己の力のみで泳いだ場合のみで、ウェットスーツを着用したり何らかの補助を用いたりした場合は公認されない。

記録に残っている中で最初にドーバー海峡を泳いで渡ったのは、1875年8月25日にイギリスのドーバーを出発し、21時間45分かかってフランスのカレーに到着したイギリス人男性のマシュー・ウェッブである[1]

女性で初めて泳いで渡ったのは、1926年8月6日にフランスを出発し、14時間31分でイギリスに到着したガートルード・キャロライン・イーダリー(Gertrude Caroline Ederle)である。史上6番目の成功であり、それまでの最短記録を2時間も短縮した。メルセデス・グライツ(Mercedes Gleitze)は、1927年11月24日、15時間15分で横断した。

最速記録は2005年8月1日にイギリスを出発し、7時間3分52秒でフランスに到着したドイツのChristof Wandratschである(2006年現在)。

日本人では、1982年7月31日に大貫(現姓・増島)映子が9時間32分で泳いだ。また、テレビ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の企画「ドーバー海峡横断部」にて、1999年8月31日に、内村光良濱口優神尾米藤井貴彦堀部圭亮ウド鈴木の6人が、16時間37分をかけリレーでの横断泳を達成し、チャネルスイマーとなった。
水陸両用車

珍しい例だが、BBC自動車番組トップ・ギアのSeries10 Episode3において、日産・ダットサントラックのD21型を改造した水陸両用車で、ロンドン郊外からドーバーまで一般道路を自走し、そのまま海峡の横断に成功している。

空を飛ぶ機器での横断

2019年8月4日、フランス人の発明家、フランキー・ザパタ(Franky Zapata)が自ら開発した「フライーボード・エア」でドーバー海峡横断に挑戦し成功した。

給油のため洋上の船に一度着地したが再び空中に舞い22分でドーバー海峡を渡りきった。
脚注^ a b “ ⇒海峡横断水泳、5つの歴史的偉業”. ナショナルジオグラフィック (2013年9月4日). 2015年12月26日閲覧。

関連項目

P&O

英仏海峡トンネル

航空史

外部リンク

チャンネルスイム協会 - The Channel Swimming Association

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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