ドーハの悲劇
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アジア地区最終予選は、ドーハでの集中開催方式にて行われた。1次予選A?F組を1位通過した6か国が総当たりのリーグ戦で対戦し、上位2か国がワールドカップの出場権を得ることになっていた。日本は1次予選F組で7勝1分けとし、UAEを抑えて最終予選へ進出した。一方のイラクは2次予選A組で6勝1分1敗で勝点13、中国を勝点1差で抑えて進出した。

日本は初戦のサウジアラビア戦を0-0で分け、第2戦のイラン戦を1-2で落としこの時点では6か国中最下位に転落。オフト監督はイラン戦を契機にスタメンの入れ替えを敢行。

累積警告により出場停止となった高木琢也に変えてイラン戦終了間際にゴールを決めた中山雅史に。ディフェンスの立て直しを図るため三浦泰年からCBが本職の勝矢寿延を左SBに。不調の福田正博に変わりベテランの長谷川健太にスタメンを入れ替え迎えた第3戦は、北朝鮮に3-0で快勝した。

第4戦ではそれまでW杯と五輪のアジア予選で一度も勝利がなかった韓国と対戦し、三浦知良のゴールで1-0で勝利し、この時点で韓国に代わり首位に立った。守備は6チーム中最少失点(4試合中3試合を完封)、スーパーサブからスタメンに起用された中山雅史が攻撃を活性化するなど、攻守のバランスは上向いていた。

一方のイラクは初戦の北朝鮮戦で2点を先取しながら退場者を出し、2-3で逆転負けを喫すると、試合後にイラクサッカー協会は監督を更迭。1980年代に2度五輪チームを率いたアモ・ババを監督に招いて迎えた第2戦の韓国戦は86分に追いつき2-2で引き分け。第3戦でイラン戦に2-1で勝利すると、第4戦ではサウジアラビアに1-1で引き分けた。6チーム中最多の7得点を挙げながら、失点も7失点という出入りの激しいサッカーをしていた。

最終戦となる第5戦を残した第4戦終了時点の順位・対戦表は以下のとおり。

順チーム試勝分敗得失差点
1 日本421152+350?01?01?23?0
2 サウジアラビア413043+150?01?11?12?1

3 韓国412164+240?11?12?23?0
4 イラク412177041?12?22?12?3
5 イラン420257−242?10?31?22?1
6 朝鮮民主主義人民共和国410359−420?31?23?21?2
最終更新は1993年10月24日の試合終了時. 出典:

当時の勝点は勝利2、引き分け1、敗戦0。勝点が同じ場合、得失点差、総得点、当該国間の対戦結果の順で順位を決した。

この段階で日本とサウジアラビアが出場圏内の1、2位に位置していたとはいえ、すでに敗退が確定していた北朝鮮を除く5位までの5か国のいずれにも最終戦の結果次第で本大会出場・敗退の可能性が残されていた。また、日本とサウジアラビアは引き分け以上が、韓国・イラク・イランは勝利が、本大会出場の最低条件であり、どのチームにとっても予断を許さない状況で迎えた最終戦となった。

同日・同時刻キックオフで行われた最終戦(第5戦)3試合の組み合わせは

日本 ? イラク

サウジアラビア ? イラン

韓国 ? 北朝鮮


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