ドン荒川
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2017年11月5日、死去。71歳没。関係者の話によると、荒川は一線を退いた後に携帯ゲームの会社で営業部長職を務めていたが、1年ぐらい前から連絡が取れなくなっていたという[1]
エピソード

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人とすぐに気が合って親しく出来る明るい性格の持ち主で、これまでに多くのタニマチとの交流をはじめ、人と人とのコミュニケーションを大切にする人物だった。本人曰く「自分に持ち合わせが無くても全国の美味しい物が食べられたので、本当にありがたいです」と語っている。また1990年当時、メガネスーパーの社長であった田中八郎との繋がりが縁で、新団体SWSが旗揚げされている[15]。また長嶋茂雄と知り合い、SWSの会場に招待したこともあった。その経緯は「多摩川沿いをジョギングしている時によく長嶋さんとお会いしまして、それから知り合う様になりましたね」[16]とのこと。


試合の方ではコミカルな動きに徹していたが、実際はシュートも即座に対応出来る屈指の実力者でもあった。またスパーリングでも容赦無く手加減はせず、若手選手を徹底的に鍛え抜いている[17]。しかし調子に乗る短所があり、道場でアントニオ猪木に喜々とシュートを挑むが、返り討ちに遭って締め落とされている。またタイガーマスクになる前の佐山聡に練習で「オィ、ちょっと佐山ぁ!、よく聞いてろよ!お前にはなぁ、真剣勝負という物を教えてやるんだからさ!ちょっといいかぁ、よく見てるんだぞ!」と自ら意気込んでいたが、佐山のキック一発であっけなく倒されてしまった[1]


前座を主に出場した選手であったが、選手全員が集結する場になるとアントニオ猪木坂口征二に次ぐ3番目の存在だった。また猪木に対し「今日はちょっと二日酔いで体がしんどいんですよねぇ…」と申し出ると「あ?、そうなのか?じゃあ今日は(試合を)別に休みにしても構わないし。好きに決めちゃっていいよ」と言われ、特別に試合欠場するのを許可されていた。


試合運びに関しては他の選手からも一目置かれた存在で、ほとんどの選手が控え室から席を離れて観戦していた[18]。大会場で限定的に行われた永源とのひょうきんなシングル戦は、ファンだけでなく猪木も密かに楽しみにしていた。


橋本真也は「荒川さんには本当に色々と人生を教えて貰ったんだよなぁ…」と語るほど深く師事し、非常に信頼を置いていた。橋本が酒の席でちらし寿司を3杯余裕で平らげた後に、手巻き寿司を食べさせて更に焼き肉の追加注文したり、酒を沢山振る舞って好きなだけ飲ませていた。また酒に酔った勢いと若気の至りもあり、調子に乗りタニマチの前で生意気なことを口にした橋本の手の甲に、割り箸で小突いて黙らせたという微笑ましいエピソードもある。しかし荒川は橋本のことを手厚く可愛がって来ており、地元・鹿児島の酒造会社である神酒造に「破壊王」という名の焼酎を受注していた。またプロレスリングZERO-ONE崩壊後、現役復帰の準備を進めていた橋本のためにスポンサー獲得に奔走していた[19]


ホノルルマラソンに参加したことがあり、見事に完走した実績を持っている[20]

体が非常に柔らかく柔軟な上に、股割りを特技の一つとしていた。試合開始前にはウォーミングアップを兼ねて自慢の股割りを時折コーナーで披露することもあり、観客から歓声が上がり場を和ませていた。


1980年2月、札幌での2日間興行に合わせて新日本勢が北海道テレビ放送雪まつり開催イベントに参加した際に「締めくくりにレスラーの方に歌の披露をお願いします」というテレビ局側の要望があり、木村健悟と荒川が指名されていた[21]


1981年4月4日から8月29日にかけて放映された、西田敏行主演の日本テレビ系ドラマ『池中玄太80キロ』に大京グラフの編集部員・荒木役としてレギュラー出演した。ニックネームは「土佐犬」であり、暴れる玄太(西田)を力尽くで抑え込んだり、日本酒1升を1晩で飲み干すという豪快な荒々しさなど、本人の個性と魅力が劇中でも再現されている。


円谷プロダクションの特撮で新日本プロレスも協力して制作された『プロレスの星 アステカイザー』に数回ゲストとして出演している[22]

逸話

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新日本プロレス時代に、合宿所で食べ過ぎてしまい腹が苦しくなり、救急車で病院に搬送されて胃の中の洗浄措置をした。その後体調はすっかりと回復し、ケロッとして合宿所へ帰るといきなり第一声に「あ?あ?!、お腹が空いてしまってどうしょうもないんだけどなぁ?」と、思わず叫んでしまった。


レストラン食堂などのテーブル上に備えてある醤油あるいはソースといった調味料を目にして手にすると「ここにあるのは確かになぁ…。ジュースだったんだよね?コレって」と平然といいつつも、これを飲み干してしまったことがある。


若い頃に中性脂肪の平均正常値が、通常『150』以内だったにもかかわらず自身は何と『3250』もあり、普通の人とは非常に掛け離れた数値が自慢の一つでもあった。


巡業先の旅館では藤原喜明佐山サトル前田日明。そして荒川の4人で女性風呂への「覗き目的」のためにほぼ毎日通って足を運び、腕立て・懸垂の状態で試合の時以上に真剣な心構えと顔付きで覗きに挑んだ。前田はこの頃について「練習でやる腕立てや懸垂ってさ、すぐ疲れるし長続きはしない上にやる気しなかったけど、これが「覗き目的」になると不思議とやる気が起きるし、気合いや根性が入って何度でも出来ちゃってさ、長く続けられたよな。あの時の精神力は凄かったなぁって本当に感じるんだよ。やれって言われても今じゃ出来ないね」と、若手時代を回顧している。


とある日、荒川は藤原・佐山の2人に女性風呂への覗きに誘われた。だが「俺は行かないから悪いね!」と、それを断ってしまう。翌朝になっても女性風呂には誰も来ない上に、佐山は体が冷えて風邪を引いた。それから30年ほど経過した時、荒川は藤原に「実はあの時のお話だけどさ、旅館でチェックインした時に、女将さんにお客さんは沢山来てますか?って訪ねたら、今日は誰も来ていないなんて聞いちゃったら行かないよねぇ…。悪いんだけど」と告白した。それを聞いた藤原は「え?っ!それを先に教えてくれなきゃなぁ?。俺達はあの時に朝4時まで待っても女性は全然来ないし、佐山は風邪引くしさぁ?。あの時はやられたよね」と、ぼやき気味に打ち明けていた。


若手時代の頃、体の線が細かった前田日明から「荒川さぁ?ん!肩の筋肉を付けるにはどうしたらいいんですかね?」と聞かれたが、その際に「それにはまずお前さぁ、はじめにベンチプレスが一番だよね!」と教え「では、背中の筋肉はどうすれば付きますかね?」と続けて聞かれて「それにもまずお前さぁ、はじめにベンチプレスが一番だよね!」と引き続き同じ教えを説いており、ベンチプレスを用いたトレーニングの大切さを伝授している。


同じく若手時代の前田日明に対して、彼が大切に愛飲していたプロテインを「悪いけど、黙って少し飲んじゃおうかなぁ…」といういたずらを試みる。しかし前田からの仕返しとして、その中に異物が入ったプロテインを飲まされるという、逆にいたずらを返されてしまった。


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